日曜日, 11月 30, 2008

模倣とオリジナル

 怠惰な自分に火をつけるときのカンフル剤はいつもB'z(2007年、ハリウッド・ロックウォークの殿堂入りを果たした[Link])。稲葉の突き抜けるような高音と松本のメロディアスなリフが絶妙に絡んだ時、アドレナ汁は止まらなくなる。先日眠れなくて、YouTubeでB'zのミュージックビデオを見ていたら、ギターのコピーを100本以上載せている人がいた。これがまた相当うまい!おそらくバンドをやっているのだろうし、ひょっとしたらギターの先生なのかもしれないが、指の運びがとても美しい。これだけの質と量をすべて耳コピーしたのならば脱帽ものだ。かつて(なーんちゃって)ギター小僧だった僕は、彼のギタープレーにすっかり見せられた。
 しかしなぜだろう、彼のプレーが完璧であればあるほど物足りなさを感じてしまう。何かが足りない。松本のギターにはあって、彼のギターにはないもの?それはある種の“遊び”だ。形式は(がんばれば)模倣できる。しかし、形式を生み出した精神までは模倣できない。オリジナルのゆるぎない精神が遊びを生む。模倣すら出来ない僕が言う資格はないのだが。
 写真は、高校2年生の夏休み全てを注ぎ込みバイトして手に入れたヤマハのストラト(B'z初期の作品で使われていた)。青のあおさに惚れて買った。Pythonとストラトを表現手段に出来る研究者になりたい。

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