先週で担当講義の定期試験が終わり、採点と成績評価も終わらせた。(大変だった...)ラボのセミナーも一段落。ようやくまとまった時間ができる!これから溜まりに溜まった論文、研究に取りかかる。しばらくおあずけを食らった感じだったので、研究熱がメラメラとしている。
中部国際空港近くのホテルに前泊している。ALIFEという国際会議に参加するため今朝の便でニューヨークへ向かうのだが、家からだと始発電車でも間に合わないためだ。
今回は自分の発表はなく、昨年度指導した学生がポスター発表を行う。ちょっと物足りないが、心置きなく発表が聞けるのは悪くない。新しい刺激をたくさん受けて、帰国してからの研究の糧にする。
火曜日, 7月 29, 2014
火曜日, 7月 15, 2014
最近の学生は...
これは口が裂けても言いたくない言葉の1つ。自分が学生の頃、先生にこう言われる度に苦虫を潰すような気持ちになった。そして、何糞とがんばりもした。
しかし、今の学生を見ていると、こう言いたくなることが多々ある。授業や課題、研究への中途半端な取り組み。「やる気ある?」と。
授業にしろ研究にしろ、僕は先生の「背中」からたくさんのものを学んだ。学問や研究のいろはを手取り足取り教わったことはないが、先生の言動や立ち居振る舞いは見本となった。だから、自分もそうしたいと思っている。
背中で語る、「最近の学生は...」と言わない大人を目指して。
背中で語る、「最近の学生は...」と言わない大人を目指して。
土曜日, 7月 12, 2014
停電の授業
こんな授業は初めてだ。今日は土曜日だが補講があった。案の定いつもよりも休む学生の数は多かったが、それ以外は通常通り。2限も残すところ10分という時、急に教室の照明が落ちた。停電だ。
大変だったのは3限の授業。エアコンが効かず、窓が開かない教室だったので、急遽、窓が開けられる別の教室に移動。プロジェクターもマイクも使えない。印刷した資料をもとに、大声を張り上げて授業をすることになった。途中で電気は復旧したのでそこからプロジェクターを使うことができ、何とか予定していた内容を終わらせることができた。
震災以来、改めて電気が使えないことの不自由さを味わうことになった。ちなみに、トイレで手を洗う際、石けんをつけたはいいが停電で水が出なくて、水筒の麦茶で手を洗うはめに...。
大変だったのは3限の授業。エアコンが効かず、窓が開かない教室だったので、急遽、窓が開けられる別の教室に移動。プロジェクターもマイクも使えない。印刷した資料をもとに、大声を張り上げて授業をすることになった。途中で電気は復旧したのでそこからプロジェクターを使うことができ、何とか予定していた内容を終わらせることができた。
震災以来、改めて電気が使えないことの不自由さを味わうことになった。ちなみに、トイレで手を洗う際、石けんをつけたはいいが停電で水が出なくて、水筒の麦茶で手を洗うはめに...。
日曜日, 7月 06, 2014
ツイッターとフェイスブックそしてホリエモンの時代は終わった
子供の時からスマホやコンピュータ、インターネットに慣れ親しみ、それが当たり前化してる世代のことを「デジタルネイティブ」という。この本の著者もまたその一人だ。ちなみにソーシャルメディアを作った世代は76世代と呼ばれ、僕はその時代の人間。
デジタルネイティブは情報化社会に対してどのような「感覚」を持っているのだろう、ということが気になってこの本を読んでみた。 当時、高校生だった著者がTwitterを駆使して著名人と知り合い、現実世界においても類い稀なる行動力で高校生起業家となるにいたった経緯が書かれている。逸話としては面白いが、それほどビックリする話ではない。彼はTwitterを道具として使っただけだ。
彼のようなTwitter世代のデジタルネイティブと、LINE世代のデジタルネイティブとでは、ずいぶんと違うのではないかと僕は感じている。後者にとってLINEは完全に身体の一部になっている。病的なまでに。
著者は結局アナログ的なものが重要なんだというような境地に達し、「ニュー・アナログ」を提唱している。76世代の僕から見るときわめて健全、きわめて普通だ。
LINE世代のデジタルネイティブを相手に今講義をしているわけだが、いつもある種の違和感を感じている。そして、この違和感の正体にはコミュニケーションの本質が絡んでいる気がしている。
デジタルネイティブは情報化社会に対してどのような「感覚」を持っているのだろう、ということが気になってこの本を読んでみた。 当時、高校生だった著者がTwitterを駆使して著名人と知り合い、現実世界においても類い稀なる行動力で高校生起業家となるにいたった経緯が書かれている。逸話としては面白いが、それほどビックリする話ではない。彼はTwitterを道具として使っただけだ。
彼のようなTwitter世代のデジタルネイティブと、LINE世代のデジタルネイティブとでは、ずいぶんと違うのではないかと僕は感じている。後者にとってLINEは完全に身体の一部になっている。病的なまでに。
著者は結局アナログ的なものが重要なんだというような境地に達し、「ニュー・アナログ」を提唱している。76世代の僕から見るときわめて健全、きわめて普通だ。
LINE世代のデジタルネイティブを相手に今講義をしているわけだが、いつもある種の違和感を感じている。そして、この違和感の正体にはコミュニケーションの本質が絡んでいる気がしている。
木曜日, 7月 03, 2014
インディアナから帰って
インディアナ大学ブルーミントン校の正門 |
帰国してからはバタバタと時間が過ぎ、とても研究どころではない。レポート採点やら非常勤の講義の準備、補講、そして試験問題の作成。ダウンしそうだ。今月末にもALIFE14という国際学会に参加する。(もと学生がポスター発表をする)
これを乗り切れば夏休み。ようやくまとまった時間がとれる。棚上げになっている論文や研究を進めないと。
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