月曜日, 2月 27, 2012

春よ

暖かくなったなと思ったら、ここ数日のように寒さが戻り、春は足踏みをしているようだ。しかし、太陽の日差しからも目のかゆみからも、春はすぐそこまでやって来ているのだなと感じる。
 宣言通り、人工知能学会誌の原稿は仕上げた。いつも通り産みの苦しみを感じながら言葉をひねり出した。コンパクトだけど我ながら良いできに仕上がったと思う。翻訳の分担分も終わり、懸案事項は2つ減った。
 もうすぐ怒濤の3月だ。まずEvolangに向けてSimulationをやり直し、発表資料も作り、準備を万端に整える。今回のEvolangはワークショップでも発表することになったので、2つ口頭発表がある。(残念ながらチョムスキーの招待講演はドタキャンされてしまったようだ。)
 そして、プロジェクトの仕事もそろそろアウトプットを出さなければならない。「今年度になってから始めたばかりの研究です」なんて言い訳はもう通用しない。"Publish or Perish"(論文か死か)、これは雇われポスドクの宿命だ。ここでもう一踏ん張りできるかが勝負だ。春よ来い。

月曜日, 2月 20, 2012

書いて表現するということ

「書いて表現すること」について考えさせられることが多々ある。思想地図βや進化言語学の構築の原稿を書いたり、翻訳を手伝ったり、もちろん研究者なので論文を書いたりする。最近では、円城塔さんが芥川賞をとるというニュースもあった。
 文字が発明されて、書いて何かを伝えるという文化が始まり、グーテンベルグの活版印刷の発明以降にこの文化は爆発的に広がり、Webの普及で表現のインフレが起きた。もはや読み手をはるかに上回る書き手がいて、顧みられもチラ見もされない表現が溢れている。
 論文を書いているときも、ブログを書いているときもそうだが、少なくない時間と労力をかけて書いているこの表現は、誰の目にも留まらず、世界に一ミリの痕跡も残さないのではないかという不安に駆られる。文字を使っているのか、文字に使われているのかわからなくなる。
 しかし、そこでやめてしまったら負けなので、それでも書く。そして、今週はぜったいに、人工知能学会の論文を書き上げる。本物の人が読んだときにそれとわかるものを。

日曜日, 2月 05, 2012

鬼子母神散策

鬼子母神を散策してきた。(「きしもじん」と読む。実際は鬼のツノがない。)目白駅から徒歩10分程度で、明治通や目白通りなど交通量の多い道路から少し入った住宅地の中にある。ここだけ時代からとり残され、ゆっくりと時間が流れているのかしらと不思議な感じがした。そして、樹齢700年のイチョウの木に圧倒された。
 10円の賽銭では足りなかったかもしれないが、家族の健康、就職と子宝の祈願、福島の復興などなど、頼めるものは全て頼んできた。1つ願いが叶うたびに、追加のお賽銭をはずみますんで、なにとぞよろしく。
近くにキアズマ珈琲という良さげなお店があったけど、今回は満席で行けなかった。また今度。