「書いて表現すること」について考えさせられることが多々ある。思想地図βや進化言語学の構築の原稿を書いたり、翻訳を手伝ったり、もちろん研究者なので論文を書いたりする。最近では、円城塔さんが芥川賞をとるというニュースもあった。
文字が発明されて、書いて何かを伝えるという文化が始まり、グーテンベルグの活版印刷の発明以降にこの文化は爆発的に広がり、Webの普及で表現のインフレが起きた。もはや読み手をはるかに上回る書き手がいて、顧みられもチラ見もされない表現が溢れている。
論文を書いているときも、ブログを書いているときもそうだが、少なくない時間と労力をかけて書いているこの表現は、誰の目にも留まらず、世界に一ミリの痕跡も残さないのではないかという不安に駆られる。文字を使っているのか、文字に使われているのかわからなくなる。
しかし、そこでやめてしまったら負けなので、それでも書く。そして、今週はぜったいに、人工知能学会の論文を書き上げる。本物の人が読んだときにそれとわかるものを。
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