Slackの通知をひたすら処理。毎日、何らかの事務作業をしている。いや、それしかしていない。主任というのは大変である。
主任になって、人と関わることも増えた。面倒ごとに巻き込まれたり、その解決に粉骨砕身する場面も増えた。これも人として必要な経験なのだろう。
アフター5、週末は、SlackもDiscordもメールも見ない。これを徹底しないと、せっかくの時間が台無しになる。きちんとマネジメントし、自分の時間を取す。自分の時間を大切にできなければ、それ以外の時間も大切にできない。
へっぽこ科学者が語るブログ:普通の日常、珈琲と本、変なにゃんこ
Slackの通知をひたすら処理。毎日、何らかの事務作業をしている。いや、それしかしていない。主任というのは大変である。
主任になって、人と関わることも増えた。面倒ごとに巻き込まれたり、その解決に粉骨砕身する場面も増えた。これも人として必要な経験なのだろう。
アフター5、週末は、SlackもDiscordもメールも見ない。これを徹底しないと、せっかくの時間が台無しになる。きちんとマネジメントし、自分の時間を取す。自分の時間を大切にできなければ、それ以外の時間も大切にできない。
技術経営専門職学位課程は、5年に1回、大学基準協会の認証評価を受けることになっている。事前に書面による審査があり、その後、実地調査がある。
書類作成の時点では、仕事は担当箇所の確認作業ぐらいだった。しかし、実地調査を受ける時点では主任なので、準備や当日対応など重役を任されることになり、すでに9月から様々な準備作業に関わった。
その実地調査が10/18, 19だった。その週は、NAISTで特別講義があったり、KProgramのプレス発表会があったりして、通常よりも忙しかった。何をどこまで備えてよいのかもわからず、膨れた不確実性×プレッシャー×注力散漫で、「しんどい」という言葉に尽きる。
事務職員の方々の献身的なサポートもあり、何とか乗り切ったと思う。どのぐらい上手く対応できたのか、できなかったのか、今となっては思うことがたくさんある。しかし、あまり細かなことにこだわっても仕方がない。達成しなければならないゴールは1つ、それは「認証評価に合格すること」である。それが達成できたならば、主任の役割は果たしたということにしよう。
教授なってまだ半年、主任になって18日目に、いきなり「山場」を迎えることになった。しかし、1.5年の任期のうち、これが一番大変な仕事だとすると、私は「心臓破りの丘」を超えたことになる。そう思うと、気持ちが楽になるのではないだろうか。
この度、第23回ドコモ・モバイル・サイエンス賞(社会科学部門)優秀賞を受賞しました。このような栄誉ある賞をいただき、大変光栄です。皆様からのご支援に感謝し、一層研究に邁進する所存です。
思い返せば、学院長から「笹原先生を推薦しました」というお話をいただいたのが、教授昇格の辞令をもらった4/1。学長推薦者に選ばれたのが5/22。そこから慌てて申請書類を作り、提出。受賞の知らせをもらったのが9/27でした。受賞者には9月初旬から中旬に知らせが行くとのことだったので、すっかり諦めていた矢先の知らせでした。
東京科学大学は3部門中、先端技術部門と社会科学部門の2部門で優秀賞。新大学になってからすぐに2名の受賞者。幸先の良いスタートではないでしょうか。10/25の授賞式に参加してきます。
運動会の季節である。世の中的には、子供の成長を見届ける学校行事のことを指すのだろうが、ここでいう「運動会」は、私の頭の中を指している。新大学、新学期、主任、認証評価、KPro、CREST、会議、会議、会議...。完全にキャパオーバー。
2024年10月1日。何はともあれ、東京工業大学が東京科学大学になった。まだ違和感しかない。でも、後戻りはできない。新大学も自分も。フォローしきれない情報の濁流とSlackの通知。とにかくやり遂げるしかないのだ。
土曜夜といえば、思い出すのが「ノブナガ」というCBCテレビでやっていた深夜番組だ。今田耕司と東野幸治が司会のバラエティーで、お笑いのファビアンが出ていた「思い出かけっこ」というロケ企画が好きだった。今ならコンプラ違反になるであろう下世話なトークも面白かった。
ノブナガは僕にとって、名古屋の良き思い出の象徴だ。博士号を取得したものの、鳴かず飛ばずで、長いこと安定した職に就けなかった中、最初の定職が名大だった。独特の文化をもつ名古屋に引っ越し、初めて任期を気にする必要がなく、研究に打ち込めるようになった(本当に名大には感謝している)。土曜夜の時間に、安心して好きなお笑い番組を見て過ごせるようになり、その頃やっていたのがこの番組。ノブナガで紹介していた東海の情報を見て、中部地区の文化や雰囲気を知った。こういう独自な地方番組があったのも、名古屋の好きなところ。
当時はまだ子供もおらず、助教だったので学生もおらず、自分と向き合う時間がたっぷりあった。あれほど自分の時間を謳歌した時代はない。今となっては、自分のことを考えるよりも、プロジェクトのこと、大学の業務、授業のことを考えていることの方が多い。土曜も授業がある。来月から、また1つ、いや2つ、重い仕事が始まる。増えるのは仕事量だけでなく、責任とプレッシャーもだ。
コロナ禍に名古屋を去ることになったが、何かを置き忘れてきた感じが拭えない。外出が禁止され、何もかもがZoomになり、「穴倉」で生活していたコロナ時代に負った傷がまだ癒えていない。だから、ノブナガの「思い出かけっこ」を見ていた頃を懐かしく、羨ましく思う。
「あなたは何したイエスタデイ? セイ」
舞い込んでくる仕事をこなすのに必死で、自分のやりたいことまで辿り着かない。そんな日々が続くと、どんどん元気もなくなってくる。しかし、それを乗り越えるための「仕組み」を自分の中に持っていないと、この「流されている感」は克服できない。
その方法1つが禅の考えを身につけることかなと思った。禅の本を探していて、たまたま「禅、シンプル生活のすすめ」という本を見つけた。試し読みでパラパラと見ていたら、今の自分に必要な言葉が多くあったのでさっそく購入して、通勤の行き帰りで読んでいる。
裏側に自信が見える不安は、気のもちようでいくらでも超えられる
「因縁を結ぶ」という言葉があります。物事は、「原因」と「縁」が結びついて結果が出るということです。
覚悟を決めるということ。それは、事実を事実として受けとめること。
心に刺さった言葉は枚挙にいとまがない。この本には、禅を日々の生き方に活かすヒントが詰まっているので、折に触れて読み返してみたい。