月曜日, 3月 28, 2011

再始動

 気がつくと桜のつぼみが膨らみ始め、まもなく3月が終わろうとしています。学振PDとしてとしての研究生活。1年ごとにラボを移り、UCLAに留学もしました(一番の思い出)。間違いなく刺激の多い3年間でした。
 一方、結果(具体的には論文)がなかなか出ず、特に今年度は職探しでは苦労した年でした。そして、自分「専門」は何か、どこを進めば良いのかを深く考えさせられました。
 とにもかくにも新しい年度が始まろうとしています。来年度はあるプロジェクトの研究員をやります [Link]。がんばってもうひと化けします。
 

水曜日, 3月 23, 2011

春の足音

 まさかこんな深刻な災害が身近で起こるなんて誰が想像できたでしょう。今朝もいわきで震度5の地震があり、長い揺れが続いたのでひやりとしました。今、両親や親戚は県外に退避しています。妹たちも仕事のつごうで県外に行くことになりそうです。いわきには少しずつ物資が入るようになったものの、大変な思いをされている方がまだたくさんいます(江頭2:50が物資をいわきに届けたという心温まるニュースがありました [Link])。もちろん津波の被害にあった地域の方たちはもっとでしょう。
 通勤の途中、節電のため薄暗くなっている渋谷駅を見ていると、これは何かの悪い夢なのではないかと思います。しかし通行人の険しい表情を見て、やはり現実なのだと我に返るのです。
 三寒四温を繰り返してはいますが確実に春はやってきています。「今やるべきことを粛々とやるのだ。」それが先週はできませんでした。今週に入ってそれができるようになってきました。腐らずに1つずつていねいにやっていきます。

金曜日, 3月 18, 2011

あれから一週間

 東日本大震災が起きてから一週間がたちました。両親は避難所に退避していた祖母と親戚を連れて、別の親戚のもとへ無事避難しました。妹はいわきにいますが無事を確認しました。いわきの放射能のレベルは1μSv/h程度なので全く問題がありません[Link]。しかし、いわき市の北の一部地域が原発から30Km圏内に入っていたため、「いわきは放射能が危ない」という風評被害で物資が入ってこない状態にあります。これはマスコミの情報の伝え方がまずかったことが大きく影響しています!!
 そのため普通の市民が食料、水、ガソリン、オムツなどが手に入らない状態です。いわきは面積が広いので、ガソリンがなければ給水所に行けませんし仕事にも行けません。そして、重篤患者をかかえた磐城共立病院などでも食料、水、薬がないという危機的な状態にあります。
 ここにきてやっと小名浜港が動きだしたようですし、さっきのNHKの放送でいわきの危機的状況が伝えられていたので、事態は良い方へ動きだしたと思います。いわき市のみなさん、もう少しだけ辛抱して下さい。今単独で動くとかえって迷惑になるので、物資が送れる状態になったらすぐにできるだけの協力をします。

追記:2011年3月19日現在、磐城共立病院および近隣の病院では給水ができるようになったという知らせがありました。

日曜日, 3月 13, 2011

東日本大震災

 3/13、2時現在で死者、不明者は1800人以上、福島原発の爆発による被爆者が190人以上という。とんでもないことになってしまいました。僕らは無事です。僕の親戚はみんな無事を確認。妻の方の親戚は以前連絡がつかない状態です。
 つけっぱなしのテレビには信じられないような映像がつぎつぎと映し出され、Twitterのタイムラインは地震と津波の情報がどんどこながれています。余震も断続的に続き、原発も予断を許さない状態です。
 一刻も早く行方不明者が救助され、事態が収拾してくれることを祈るばかりです。僕にできることは現実を受け止め、粛々とやるべきことをやることです。そして、節電や節水、献金や献血、協力できることは積極的にやります。どうかこれ以上地震や津波が来ませんように。

追伸:Googleを通じて日本赤十字にわずかではありますが義援金を寄付させていただきました。少しでもお役に立てれば幸いです。
 

金曜日, 3月 11, 2011

原稿を書かねば...

 iTunesでお気に入りのジャズチャンネルをかけながら、真っ白い画面とかれこれ1時間にらめっこをしている。言葉が1ミリも出てこない。新しく文章を書き始めるとこはいつもこうだ。物書きを生業としている人はすごいなとつくづく思う。よくも次から次へと新しい表現を生み出せるものです。
 僕は文章がすらすらと書けたことなど一度もない。自分の頭をふわふわと漂っているイメージのようなものを捕まえては言葉で表現し、消し、また表現する、という作業を延々と繰り返す。頭の中には仮想の読者が住み着いていて、常に何事かぶつぶつとつぶやいてくる。産みの苦しみをしばらく味あった後、ようやく言葉のお通じが良くなり、その後はアドレナリンが出るのにまかせて一気に書きなぐる。このフェーズが過ぎると、明日のジョーのように燃え尽きて真っ白になっている自分がいる。
 とまあ、こんな風に書くとおおげさだが、物書きをしているときはスイッチを切り替えて気張らないといけないわけです。原稿の締め切りが近づいて来ました。来週が正念場です。

土曜日, 3月 05, 2011

パーティー

 先週の日曜の夕方、知人を招いて結婚パーティーをした。入籍をしたのが2008年11月11日だから、「おめでとう!」と声をかけてもらうのも何か変な感じがする。会場は僕らの夫婦のお気に入りのカフェ、アンリ・ファーブル。この雰囲気と料理ならばときっと気に入ってもらえるとだろう思っていたけど、みんなに喜んでもらえたようで良かった。
 忙しいところ、そして遠くから、全部で約50名の知人が集まってくれた。僕の友人は、中大、都立大、東大、理研、pingpong、妻の友人は大学と趣味のお友達と、本当に多くの方が来てくれた。とてもうれしかった。こんな風に友人が一同に会する機会はもうないんじゃないかな。
 司会は大学の友人O君に頼んだので、パーティーを満喫できた。さすが中学の先生だけあって司会進行がばっちりだった。師匠のIさんと妻の友人はスピーチをしてくれた(Iさんのスピーチは個性的すぎてびっくりする人が続出)。みなさん本当にありがとうございました!記憶に残る素敵なパーティーになりました。今後ともよろしくお願いします。