「もう一歩前へ。」 これは啓蒙書と男子トイレでよく目にする言葉。 人生もトイレで用を足す場合も、現状よりも先へ自分をガイドすることが重要なのだろう。哲学では、「
今、ここ、私」という言い方がよくされる(大学時代、哲学の授業でよく耳にした)。 「未来、あそこ、私ではない誰か」という風に、物理的あるいは言語的に、「今、ここ、私」という制約を超えてゆけることが、ヒトのヒトたる所以(ゆえん)なのかもしれない。確かに、職場の入り口で枯葉に埋もれて昼寝をしてるニャンコが、100年後の猫族の食糧問題を憂いているとはとても思えない。でも、時々、自分は「今、ここ、私」を果たして真剣に生きているだろうかと思う。未来の(理想の)自分を思い描くばかり、もう一歩前へを強く意識しすぎるばかり、たった今ここにいる原寸大の自分を楽しんでないのではないかと。常に半歩先を見て、爪先立ちしている感覚がある。では、今の自分を今考えなくていつ考えるのだろう?そう思うと、今を享受するニャンコの方が数倍偉いのではないか思ってしまう。痛いほど「今、ここ、私」と向き合うことから始めよう、そう思った師走の1日なのでした。
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