土曜日, 9月 26, 2020

環境を変えるということ

  職場が変わり、引っ越して、環境が変わる。年をとると、環境を変えることがこれほど苦になるのかと痛感している。自分一人だけなら、そうでもないのかもしれないが。

 大学で上京して以降、川崎→南大沢→お台場→下赤塚→ロサンゼルス→中野→名古屋→ブルーミントン→名古屋→新座と、2回の海外を挟んで、いろいろなところに引っ越しをした。中でも、名古屋は8年住んだし、子供たちが生まれた場所だし、何よりも車で1時間走れば、海も山も大きな公園もある環境、そして喫茶文化が大好きだったので、名古屋を離れたのは残念な気持ちで一杯である。

 一番のネックは子供たちの学校だ。通っていた幼稚園はキリスト教系で、優しい先生たちと仲の良い友達がいたので、息子も楽しそうに通っていた。そんな中、自分の仕事の都合で息子が別の幼稚園に通わなくてはならなくなるのは、申し訳ない気持ちで一杯だ。もちろん、新座は新座でいいところだし、息子も新しい幼稚園に少しずつ慣れてきているのは幸いだ。子供たちが小さいうちの異動でよかったという意見は真っ当だろう。

 名大にはこれからも指導を継続する学生たちもいる。彼らが卒業するまでは自分が責任をもって指導すると決めている。東工大は東工大で、(社会人の)院生が来るようになるだろう。新しい授業の準備もしなければならないし、これまでよりも会議は多い。

 黙々と仕事をこなしながら、この不安を乗り越えていくしかないのだろう。研究者になるのも茨の道だが、研究者になったらなったで、さらに茨の道である。

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