水曜日, 11月 30, 2022

持続可能な査読?

  PLOS ONEのとHumanities and Social Sciences Communications の編集員(エディタ)をやっている。どちらもジャーナルも論文を掲載したことがあるので、学術への貢献と思って、論文のハンドリングをしている。提出された論文を読んで査読してくれる人を探すのは、とても手間で時間のかかる仕事だ。

 特に最近、PLOS ONEがはひどい。毎日のようにエディタ業務のリクエストが来る。最初のうちは、全部ではないにしろ、がんばって引き受けていたが、最近ではほとんど断っている。というか、忙しすぎて、断ざるをえない(それでも常時、1~2本はハンドリングしている状態)。エディタ業務が、かなり自分の時間を奪っている。

 どちらのジャーナルもオープンアクセス系なので、著者が出版費用を払い、出版社はそれで儲けている。しかし、エディタ業務は責任重大で、時間も手間もかかるのに、やったところで1円も支払われないし、業績にも評価にもつながらない。

 自分が論文を出すときは、誰かにお世話になっているのだから、お互い様だとボランティアでやっている。みんなそうだろう。しかし、これは悪く言えば「やる気の搾取」ではないか。

 論文を書く人は山ほどいる。しかし、論文を読んでくれる人はほとんどいない。エディタも査読もただ働き。出版社は著者からの出版費用で利益を得ている。何かおかしいし、腑に落ちない。

 決して、エディタや査読の仕事にお金を払え、と言っているわけではない。しかし、今の査読のシステムは明らかに持続可能でない。やる気の搾取の上に成り立っていると言わざるを得ない。

 人工知能学会誌などの国内の雑誌では、査読を期限までに終わらせると図書カードがもらえる、などの特典があったりする。あるいは、自分のその雑誌で出版する際に割引を受けられる、というケースもある。それはなかなかよいアイデアだと思う。

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