土曜日, 11月 27, 2021

講演会

  今年はよく講演依頼が舞い込んだ。もちろん、お声がかかることは、研究者としては喜ばしい限り。ただ、11月はビデオ発表も含めると講演が5つあって、それぞれに事前打ち合わせや書類作成、発表資料の作成と予行演習もあったので、かなりしんどいことになった。

 講演がオンライン開催になってからは、聴衆の反応が見えないことが多いので、質問がないと手応えが感じられず、落ち込むことも多々あった。今日の東工大の講演会もやはりオンラインだったが、質問もいくつか出たし、対談する先生が自分も興味があるツーリズムをご専門にされていたので、面白く参加させてもらった。

 謝金云々とは関係なく、お役に立てそうな講演依頼は今はできるだけ引き受けている。しかし、そろそろセーブして、充電期間に入ろうと思ってはいる。新しい研究成果が出て、発表したいという気持ちが内側から湧いてくるまでは。

火曜日, 11月 23, 2021

つながらない自由

  当たり前だが、休日はお休みである。そんなことはお構いなしで、休日でもメールは来るし、Slackの通知も来る。メールとSlackの「おかげ」で(というか「せい」で)、四六時中、つながりっぱなしの状態である。

 ひと頃「つながらない自由」というのが話題になった。独身の研究員時代は、研究もプライベートもごちゃ混ぜの日常だったので、特に気にもしなかった。しかし、普段は教育・研究・雑務に追われ、どうやってマインドフルネスを取り戻すかに苦労している中、せめて休日ぐらいはゆっくりとしたい。

 せめてもと、iPadのGmailアプリは目のつきづらいところに移動し、Slackアプリは削除した。iPhoneも、GmailとSlackは目につきづらい場所に移動した。日に三度ぐらいチェックすれば十分だろう。

 つながりっぱなしの現代は、努めて「切断」する必要がある。そもそも、休日に送られてくるメールなんてロクな知らせがないので、見ると気分を害したまま休日を過ごすことになる。見ないにこしたことはない。

 つながらない自由のため、今後はそのようにします。悪しからず。

日曜日, 11月 07, 2021

コーヒーとIPA

  論文や学会誌原稿など、諸々の締め切りが立て続けにあって、先月は精神的にも体力的にもかなりキツかった。特に、ロジックもストーリーも無茶苦茶な論文を改稿するのは、かなりしんどい。

 4本中2本は先月末が締め切りの論文だったので、無難にまとめるしかなかったので、少し不本意でもある。それでも学生の卒業要件との関係や、学生のモチベーションを高めるためにも、「頑張って論文を書こう」と叱咤激励してきたので、投稿を諦めるという選択肢はなかった。

 さらに、木曜夜(18:40〜20:20)も授業担当になり、21時からは研究室ゼミと個別の議論があるため、木曜の疲労はハンパない。隙間時間で子供たちをお風呂に入れ、晩御飯を食べている。

 ふと財布に入っていたカフェのコーヒーチケットに目をやると、有効期限がとっくに切れていた。昨年は、しばしばこのカフェでコーヒーを飲みながら、書き物などをしていた。今年度になってから、そんなことはほとんどできていない。

 3Qの授業はあと1回。先週末は、高円寺の輸入ビール屋のIPAで自分にご褒美。一本千円もするのだが、そのぐらいのプチ贅沢ぐらいなら許されるだろう。誰も褒めてくれないが、自分はよくやったと。

火曜日, 11月 02, 2021

リジェクト、リジェクト、リジェクト

  ポスドク時代を思い出させる出来事があった。エディタ・リジェクトの嵐である。論文を投稿しても、エディタが価値なしと判断すれば、査読にも回されず返される。しばらくの間経験することがなかったので、そういえば異分野融合型の研究ではその確率が高いことを思い出した。

 UCLAでの研究をまとめた以下の論文で、その経験をした。次の職を見つければならない中で、リジェクトを何度もくらい、なかなか論文にならず、本当に困ったものだった。しかも、ニッチな領域の研究なので、論文になったとしても、職につながる保証もなかった。

K. Sasahara, M. L. Cody, D. Cohen, and C. E. Taylor, Structural Design Principles of Complex Bird Songs: A Network-Based Approach, PLoS ONE 7(9): e44436, 2012

 テニュアの職なので、リジェクトを何度食らおうが職を失うわけではないので、そのショックは以前ほどは大きくないかもしれない。それでも、魂を込めて書いた論文が査読にも回されない悲しさは大きい。最近はオープン系の雑誌ばかりに出していたので、エディタリジェクトがなかったのだ(よほどひどい論文は、それでもエディタリジェクトされるだろうが)

 自分がPLOS ONEのエディタをやるようになって知ったが、エディタは忙しすぎて、それほど論文の価値がちゃんとわかっていないことも多い。PLOS ONEの場合は、基本的に全て査読に回すので、私の価値観がその段階で影響することはないが、他のメジャーな雑誌の場合は、はっきり言ってエディタの好みに左右される。今回のコメントを読むと、たいして論文を読んでないことが明らかなので、あまり気にしても得られるものはない。適切な別ジャーナルを選んで、今日、再投稿した。

 もうエディタ・リジェクトは勘弁願いたい。