月曜日, 10月 06, 2025

Agents of Influence

Filと私
 先述したワークショップ「Agents of Influence: 60 Years of Connections」に参加し、発表してきた。Filの同僚、教え子やポスドクはもちろん、彼の大学院時代の指導教員も参加していた(Filはイタリアの大学で学士・修士を取った後、UC San Diegoで博士号を取得した)。たくさんの写真と共に懐かしい思い出話や、当時や最新の研究の話など、いろんな話を聞くことができた。

 これまでにFilはすごい数の論文を書いているが、自他ともに認めるワーカホリック。床にノートパソコンを置いて作業しているFilの写真が映し出され、「これは結婚式直前です」と。会場は爆笑に包まれた。国際会議の締め切りがあると、早朝まで学生と議論しながら論文の作業をすることもあったそうだ。

 私はFilとIUに関する3つの思い出を語った後、XFinch実験の最新結果について発表した。それほど発表練習もしなかったし、他の発表者のように面白く話せるかだろうかと、内心心配していたが、いざ発表が始まるとスラスラと言葉が出た。Filからはたくさんのことを学び、本当に感謝しているので、心の底で思っていることを言葉にするのに苦労はなかった。

 10年後の私は今のFilとほぼ同じ年。彼のようなスーパースターと比べるべくもないが、少しでもFilに近づけるように、彼の背中から学んだことを実践していきたい。

 

土曜日, 10月 04, 2025

B-town revisited

 Filの60歳のお祝いのワークショップで、久しぶりにIUに来ている(ワークショップについては、別の投稿で)。ずっとBタウン(ブルーミントン)を再訪したいと思っていたけど、コロナ禍になったり、大学を異動したり、大型プロジェクトに関わることになったりと、状況的にも、気持ち的にもできずにいた。

 ワークショップの前日夕方にBタウンに着いたので、ホテルにスーツケースを置いて、昔住んでいた頃に行った店や場所を散策した。道を挟んでホテルの反対側には、私も妻も大好きだったThe Butcher's Block(プルドポークは絶品)やしばしば行ったスタバ(一番行ったのは、Krogerとブルーミントン南高校の近くの店舗)がある。

 そして、新たにオープンしたFresh Thyme側からカレッジモールの中に入り、たまの贅沢だった中華料理屋Judy'sキッチンやTargetがあることを確認した。Target側は空きスペースが多く、少し寂しい感じになっていた(改修工事をするのだろうか)。残念ながら、倅少年にRodyを買ってあげた玩具屋さんはなくなっていた。

 ここまで来たら行ってしまえと、Covenanterまで足を伸ばした。昔住んでいた部屋はまだあった。ここには家族三人の思い出が詰まっている。明日もここからIUに通っても不思議ではない気がするのだが、もうここには住んでいないのだな、などと哀愁が込み上げてきた。ひとしきり写真を撮って、またカレッジモールに戻り(途中のショートカットの獣道は、車がない時に、ベビーカーを押して通ったものだった)、Judy'sキッチンで大好きだった麻婆豆腐を夕食にテイクアウトして、ホテルに戻った。具材は変わったが、相変わらずのうまさ。

 ワークショップが終わったらインディーに移動して一泊する。翌日の飛行機が夕方なので、昼過ぎぐらいまでインディーを散策して、空港に向かう。家族でチルドレンズミュージアムによく行ったものだった。流石に一人で行くことはないが、雰囲気が好きだった図書館やカフェなどを再訪してみよう。

p.s. 飛行機は夕方だと思い込んでいたが、それはシカゴ-羽田便だった。スマホに届いた通知で、Indy-シカゴ便が14:25であることに気づき、慌てて空港に向かい、事なきを得た。

スタバとThe Butcher's Block

昔住んでいたアパート

アパートの裏にはBBQの設備がある

Kroger内のスタバ

Judy'sキッチン


金曜日, 9月 26, 2025

Trust and Safety Research Conference 2025

 標記国際会議に参加するために、2年ぶりにスタンフォードに来ている。今回は業務の合間に来ているので、本当にキツキツのスケジュール。9/22に9月卒業の学生たち送り出し、祝日を挟んで9/24は事務仕事を片付けて、飛行機に飛び乗った。

 カリフォルニアのよいところは、9時間ちょっとで着くこと。ただし、日本の夕方に出発すると到着した現地はまだ朝なので、初日が異様に長い。しかもこの日は、日本時間の夕方にオンラインの講演と入試説明会の仕事があって、その対応をしなくてはならなかった。割り込みで新聞の取材や雑務もあり、自分の発表練習もままならなかった。

 入試説明会を無事終えて、仮眠をとってフラフラの状態で学会に向かった。それでも、この学会は楽しい。通常のアカデミアの人たちだけがいる学会とは違い、企業や行政関係者も多い。話題もAI系の学会で耳にすることがないような話も多く、楽しい。CRESTのもとポスドクのDilにも会った。頑張っている姿を見るのは頼もしい。

 あまり準備された発表とは言えないが、何とか自分の発表も終えた。会場からは2つ質問があり、その後のハッピーアワーでも、何人かの人に「あなたの発表面白かったよ」などと声をかけてもらい、議論をした。こういうのが楽しい。

 ようやく慣れてきたかなと思ったら、今日が学会2日目で最終日。明日には、また飛行機に乗って日本に帰り、重要な主任業務。そして、10/2にはまた米国出張がある。とにかく慌ただしいわけだが、この状態に慣れるしかないのだろう。今日の学会を最大限楽しみたい。

キーノート













Dilと再開した


月曜日, 9月 22, 2025

CREST Social AI

  このたび、JST CREST(「人とAIの共生・協働社会を実現する学際的システム基盤の創出 」)に採択されました(5.5年, 2.95億)[リンク]。「信頼準備性(Trust Readiness)」という新概念を手掛かりに、ソーシャルAIの理論・技術を作り、社会実装に向けて実証実験を行います。

  • 研究課題名:不確実性社会を克服する信頼指向ソーシャルAI設計学
  • 研究代表:笹原和俊(東京科学大学)
  • 主たる共同研究者:越前功(国立情報学研究所)、五十嵐祐(名古屋大学)
 申請書および発表資料の作成は、もちろん大変でした。5月のGW明けぐらいに、スタバで考えていた時に降ってきたのが、「信頼準備性(Trust Readiness)」という新しい概念。昔ある先生が「最近レディネスについて考えているんだ」と言っていたことが耳に残っていて、それが自分の問題意識と相まって、ポロリと出てきたのかもしれません。
 この概念を中核に据えて、3つのグループがどのように連携するのかを想像し、共同研究者の先生方の専門を踏まえて、2週間ほどで研究の全体像を書きあげました。申請書を提出した段階で、書類審査は通るだろうという自信はある程度ありました。なので、面接に通ることを前提に、海外出張の帰国の日を1日伸ばして、面接に備えました(国際会議の翌日が面接日に指定されていました)。
 面接のお知らせが来てから発表資料の提出までの時間は短く、海外出張の行き飛行機の中で、発表資料をほぼ完成させました。国際会議に参加中も、「面接で落ちたらすべてが徒労に終わる」と自分に言い聞かせて、ホテルで直前まで発表練習をしました。そして、迎えた面接当日。発表と質疑応答の受け答えから、採択をほぼ確信しました。
 この間、主任業務などもこなしながら、過去一の集中力を発揮して難局を乗り切ったと思います。もちろん採択は入り口であって、研究はこれから。
 ちなみに、我々の領域のCRESTの採択率は6/79。Science Tokyoとしても大学全体で善戦しており、CRESTは6件採択で京大と並んで2位(1位の東大は11件)[リンク]。


日曜日, 9月 21, 2025

軽井沢旅行

 毎年、越前CRESTでは、軽井沢にあるNIIの施設で合宿をしていて(今年度で最後)、行くたびに、いつか家族で来たいなと思っていた。軽井沢チョコレートファクトリー丸山珈琲ぐらいしか立ち寄れなかったので。

  そこで、今年の家族旅行は2泊3日で軽井沢に行ってきた。旅行中ノートパソコンは開かないと心に決め、持参したのはiPadのみ。

 初日の土曜は昼まで仕事があったので、午後から出発。軽井沢といっても、今回の宿は北軽井沢にあるコテージ(嬬恋なので、長野県ではなく群馬県)。コンビニで飲み物を調達して、宿の着いてすぐにBBQ。とても良質のお肉で、とても美味しかった。

 二日目は、鬼押出し園に登った後、浅間牧場でソフトクリームと牛乳を楽しみ、細い山道と調渋滞を越えて、旧軽へ。ベーカリー&レストラン沢村でお昼を食べ、劇込みの旧軽井沢銀座を散歩し、沢村ロースタリー軽井沢で休憩。そして、夕食にそばを食べて、昼は劇込みで断念したハルニレテラスにあるトンボの湯に入って、コテージに戻った。

 3日目は、子供たちが楽しみにしていた軽井沢おもちゃ王国で、一通りアトラクションを楽しんだ(もっとおもちゃに関係するのかと思っていたが、基本的には中規模の遊園地)。その後、白糸ノ滝を見て、軽井沢駅近くのアウトレットに立ち寄って、帰路についた。

 この家族旅行のために仕事をがんばるのだと、自分に発破を掛けてやってきたので、1つ重要イベントが終わったという感じ。(この前後の仕事のきつさは過去一二を争うレベル)書きたいことはたくさんがあるが、またの機会に。

Holiday Villaのコテージ















鬼押出し園から見た浅間山
















白糸ノ滝


水曜日, 9月 10, 2025

締切のスクラム

  提出締切が続き、四方八方塞がりの日々は本当つらい。「やりたいこと」をまったくできないほどの「やらなくてはいけないこと」。逃げたところで自分の首を絞めるだけなので、レッドブルの力も借りて、ひとつひとつタスクを片付け、家族旅行前に最後の1つまでたどり着いた。

 9月も中盤に差し掛かろうとしている。今月だけでも依頼講演が4件、学会発表1件。気が付いたら、カレンダーは予定でパンパン。2週連続で米国出張も控えている。「なにくそ、ここで死んでたまるか」と、体に鞭打って前に進む。

 私の夏休みどこへ...。

日曜日, 8月 31, 2025

小田急線のある風景

  研究室の学生が「日本行動計量学会」で発表をするため、会場である専修大学生田キャンパスに向かった。学生の発表は午後後半だったので、生田駅で下りて街を散策した。生田には、学生時代にお世話になったいわき市の潮寮があり、思い出が詰まった特別な場所だ。

 生田駅の周辺はは、建物こそそれほど変わっていないものの、お店はすっかり変わってしまっていた。学生時代によく行った箱根そば、マクドナルド、本屋さん、TUYAYA、カラオケ屋さんはなくなり、別の店になっていた。あれから25年以上たつのだから、無理もない。

 坂道を登って潮寮まで歩いた。今はどのぐらいの学生たちがここに住んでいるのだろうか。僕が学生の頃は、いろんな大学・専門学校に通う人たちがいて、とても活気があった。当時、エアコンが部屋についていたかどうか定かではない。共通の自習室があって、夏はそこか、近所のファミレスで試験勉強をしていた。

 あの頃は、時間なんて無限にあって、いくらでも好きなことができる気がしていた。けれど月日が流れ、それは錯覚にすぎなかったと気付かされた。実際には、大勢の誰かが頑張ってくれていたおかげで、元気玉のように時間が僕に注がれていただけだったのだ。

 潮寮の裏側の階段を降りると、明治大学の入り口で、その前のローソンはよく行った。すでにそのローソンはなくなり、セブンやファミマが近くにできていた。階段から見える小田急線の風景は僕の日常だった。懐かしい。

潮寮
潮寮。4年生の時、奥の建物の3F右端の部屋に住んでいた。


寮からローソン(当時)に行く階段から見える風景

 

土曜日, 8月 09, 2025

ウォーリーを探せ

  昨年、私と五十嵐さん(名大)で作成したJ-LIWC辞書の商業利用のロイヤリティを企業からもらい、二人で分けた。そして、私は東工大(現 東京科学大)に、五十嵐さんは名大に全額を寄付した。そうすることを、もともと[この論文]の中で約束していたからだ。

All royalties given to TI and KS for the commercial use of the J-LIWC2015 dictionary will be donated to Nagoya University and Tokyo Institute of Technology.

 寄付のお礼として、自分の名前がはいったブロックが、東京科学大のどこかに設置されたことは知っていた。しかし、どこにあるのかは知らされていなかったし、自分から探すこともしなかった。

 昨日、学生が大学図書館の入り口にそれがあることを発見し、写真を撮ってくれた。自分ではぜったいに見つけられない、ウォーリーを探せ状態。そして、すっかり忘れていたので、「思わぬ再会」といった感じ。

 左下には、ノーベル生理学・医学賞の大隅良典先生のお名前がある。日経の記事によると、「大隅良典記念基金」を設立するために、ノーベル賞の賞金相当の1億円を寄付したのだそう。

 後進を育てるために1億円を寄付する、という科学者の模範のような行為を目の当たりにすると、論文を何本出したか、国際会議でどれだけ発表したか、研究助成をいくら獲得したかを競うことなど、どうでもよい些細なこと、そして研究者のエゴに思える。

 科学という営みを絶やさず、発展させるということが最も大事なことだ。





日曜日, 8月 03, 2025

スローダウン

  昨日の補講で2Qの授業が無事終わり、ずっと続いていた過密スケジュールが一区切りついた。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではあるが、2Qは新設授業(ビジネスデータサイエンス)だったため、講義資料・演習問題を準備する締切が毎週あり、膨大な数の会議・雑用をこなしながら、そのための時間を確保するのに苦慮した。

 ただ、授業準備のために、新しい教科書を読んだり、プログラムを書いたりといった作業はとても楽しかった。知らない間にPythonが進化していて、自分が勉強した頃にはなかった機能が追加されていた。知らなかったことを学ぶのは、いつだって楽しい。

 さて、差し迫った締切のタスクをこなすのに忙しすぎて、自分が置かれている状況、やりたいこと・やらなきゃいけないことを整理することもできていなかった(誰に褒められるわけでもないが、タスクはきちんとこなした)。少しスローダウンして、自分を見つめなす時間が必要だろう。

 

火曜日, 7月 29, 2025

IC2S2 2025

 国際会議IC2S2 2025に参加してきた。今回はスウェーデンのノーショーピングで、首都のストックホルムから電車で2時間ぐらい。かつては織物工業の都市として栄え、現在はその時の工場群はリノベされ、観光スポットとなっている。

 今回のIC2S2は、過去最大の約650名が参加した。私の研究室からは、ポスドク2名と博士学生1名がポスター発表をした。東工大に移籍してからは、毎年この時期に院試があるので、ほとんどフル参加することができなかった。今回は院試(A日程)が早く終わったこともあり、チュートリアル以外は参加できた。いろいろ仕事を抱えての出張であることは変わりないが、いつもよりは落ち着いて学会を楽しむことができた。

 それにしても計算社会科学の分野の進展の速さには驚かされる。去年はLLMの活用はまだ手探り状態だったが、今年の研究発表では、LLMの活用はもはや当たり前の状態。かつて、機械学習も異分野進出が激しかったが、LLMはその比ではない。この変化は破壊的ですらある。来年はどうなっているのだろう。

 IC2S2に参加すると、自分の原点をいつも思い出す。原点といえば、カンファレンスディナーの建物の前で、Oferと再開した。彼もこの学会に参加していたのだ。かつてBirdsongを研究していた時に、Oferからたくさんのことを学んだ。それは私がTwitterのデータ分析を始める前のこと。Oferは今はオンライン行動実験もやっていて、相変わらずエネルギッシュですごい。

 来年のIC2S2は米国のVermont。いい研究をして、またこの学会に戻ってくるぞ。





 

土曜日, 7月 05, 2025

All work and no play makes Jack a dull boy

 このことわざの通り、忙しすぎてよいことは1つもない。先月は、家族で晩御飯を食べる日がほとんどない週もあった。自分が無理をして、体や心を壊してしまってはもともこもない。
 何かを1つ始めるのであれば、何かを1つをやめるのでなければ計算が合わない。1日は24時間しかない。自分がやりたいことをやる時間を作らないと。
 CRESTの実験は無事修了した(分析はこれから)。KProの最初のハードルは超えた。あとは、新規開講の授業の準備の目途が立てば、もう少し余裕を持てるようになるか?
 ひと月に一度ほど、まるで何かの手違いのように、会議も予定も一切ない日がある。そんな日は、雷雨のあとに一瞬だけ現れる青空のような、澄みきった解放感を覚える。その感覚を、もっと頻繁に味わいたいものだ。

日曜日, 6月 29, 2025

XFinch実験

 6/6-8の3日間に渡り、CRESTの目玉となるXFinch実験の本番を実施した。XFinchというのは動画を共有するInstagramのようなSNSで、実験用のシステムとはいえモックアップではなく、本格的なSNSだ。

 学生たちに協力してもらったテスト実験を2回、100人規模の予備実験1回を経て、1200人超の参加者による本実験。テストや予備実験で見つかった不具合を修正して臨んだが、本番では想定していなかった様々なトラブルが起こった。

 しかし、それは最小限に食い止めた。SNSとして使えないほど動画が遅延したり、参加者の行動データの記録に失敗するといった、大きなトラブルはなかった。何とか本実験を無事終えることができた。プロジェクトのメンバーと議論を重ねてきたことが功奏した。

 先日のCREST領域会議で、XFinch実験の予備分析の結果を報告した。今後、論文化に向けて分析を進めていく。これで、CRESTの申請書での公約を果たし、2020年から始まった5.5年のプロジェクトをクローズしていくことになる。言葉にできないほどの苦労がたくさんあったが、PIとして様々な経験を積むことができた。支えてくれた方々に感謝したい。

 実験成功を記念して、Tシャツを作った。XFinchのキャッチフレーズは、「Blue bird is gone, but not in the blue sky」。何を言っているのか想像がつくだろう。



日曜日, 6月 22, 2025

国産IPA

  ビール好きだが、中でもIPAが特に好きだ。今のところ最高のIPA体験は、IndyでNetSciがあったとき、宿泊していたホテル近くのレストランで食べたバッファローチキン+IPAだ。酸っぱ辛いソースと濃く苦いIPAが最高に合う(あー、Bloomingtonに帰りたい)。

 日本では長らく「インドの青鬼」ぐらいしか、自分に合うIPAがなかった。しかし近年、色々な国産IPAが出てきて、値段はだいぶするがご褒美にはもってこい。これまでに飲んで美味しかった、自分好みの国産IPAを紹介する。

  • Hysteric IPA 大好きな名古屋の地ビール、ワイマーケットBREWINGの一本。フルーティーだけどガツンと苦い。名前も格好いい。
  • NEKONIHIKI 伊勢角屋麦酒さんのIPAも同種。猫シリーズはどれもうまい。父の日に大人買いして、3本ゲットした。



火曜日, 6月 10, 2025

国立大学教授のお仕事

 「国立大学教授のお仕事―とある部局長のホンネ」(木村 幹 (著))という本を読んでいる。この手の話題は、ややもすると暴露本的で、恨み辛みの表現で下品になりがちだが、著者の経験として淡々と客観的に描かれていて、読んでいて苦にならない。

 「研究がしたくて研究者になったのに、なぜこんなに時間がないのか?」そんな疑問は大学教員なら誰しもが思うことだろう。依頼された大量の仕事をとにかく片付ける、という作業していると、あっという間に時間がなくなり、研究・教育に割く時間が枯渇する。プライベートの時間まで仕事が侵食してきて、だんだん時間の感覚が麻痺してくる。

 この本を読んでも、その問題が根本的に解決するわけではないが、少なくとも国立大学どのような歴史を辿って、教授が今のような境遇になっているのかを知ることは大事だろう。若手研究者がこれからのキャリアを考える際にも、参考になると思う。

 なぜ教授になれたのか、それは著者も書いているように、「運」と「縁」ということに尽きる。もちろん、その「運」と「縁」を手繰り寄せるための努力は、当時それなりにしたのだろう。今となってはよく覚えていないが。覚えているのは、その時その時、置かれた場所で一生懸命、やれることをやったということ。

 目標を持ってコツコツとやる。日々の素振りが、大谷の特大の一発を生むように。


月曜日, 5月 19, 2025

49

 昨日誕生日を迎え、49になった。ここまであっという間だったような、ものすごく時間がかかったような。40を過ぎてからは、時間の過ぎ方がえげつなく早く感じた、それだけは確かだ。光陰矢の如し、とはよく言ったものだ。

 あれやこれや、いろんなことに関わり過ぎて、やりたいことに時間が割けなくなっていることは常態化している。これを期に、やりたいことに優先順位をつけ、断捨離をしようか。

 One thing at a time. それが自分には似合っている。 

土曜日, 5月 03, 2025

髀肉之嘆

  髀肉之嘆。劉備の発言が故事になったことは知られている。今の私を指し示す言葉であるかもしれない。

 科学をせず、「消防ホースで水を飲むがごとく」のサムシングエルスをこなしている。「これで科学者と言えるのか?」「いや、とにかく組織のためにやるのだ。」ナイフのような声がやってきては消え、消えてはやってくる。

 中野のコワーキングでこの文章を書いている。この辺りは15年ぐらい前、公募の書類を郵便局に出しに行くついでに、よくジョギングしたものだった。あの頃、科学者としての自信と不安の揺れる気持ちを抱えて、走っていた。すっかり、中野駅の周辺は変わってしまった。自分は定職についた。しかし、文字通り髀肉之嘆を地で行く自分がいる。

 何か全く関係ない新しいことに挑戦することからはじめようか。それで脾肉が減るならなお結構(外食・惣菜ばかりでなく、ちゃんとした食事をとらないと)。

 

 

 

月曜日, 4月 21, 2025

ああ吉祥寺

 子供たちをつれて吉祥寺に行ってきた。スワンボートに乗ろうと井之頭公園にいったら、人、人、人。桜の季節ほどではないが、少し待ってからスワンボートに乗った。30分で800円。まあまあ高いですね。

 子供たちは楽しかったようで、夢中になってスワンボートを漕いでいた。家族でボートに乗ったことがなかった。その後、ぐるっと講演を散歩した後、茶房武蔵野文庫に向かった。

 そうえいば名古屋に引っ越す前は、夫婦二人でカフェ目当てで、たまに吉祥寺にも散歩に行っていた。このブログにも何度か登場している。茶房武蔵野文庫のことはすっかり忘れていたが、二人だけで訪れた喫茶店に子供たちを連れて再訪できたのは良かった。

 あっという間に大きくなってしまうであろう子供たちと、こうして休日を過ごせるは幸せなことだ。










土曜日, 4月 12, 2025

現代の国語

 この度、拙著「見たいものだけ見る私たち」が三省堂発行の中学3年生向け国語教科書『現代の国語』に掲載されました。本日、実際に教科書を手に取りました。肩書きに「計算社会科学者」と書かれているのも感慨深いです。

 僕が中学生の頃の教科書は白黒だったし、あんまり面白くなかった。今の教科書はカラフルで、内容も多様で楽しい。SEKAI NO OWARIのSaoriさんも寄稿しています。こういう教科書で勉強したかった。

 大学で物理を学び、複雑系で博士号をとって計算社会科学者になり、国語の教科書に自分の書いたものが掲載される日が来るとは。この文章が生徒の皆さんの学びの一助となれば幸いです。





土曜日, 3月 29, 2025

社会現象としてのSNS

 楽天大学ラボで山口真一さん、宇野常寛さんと対談しました。ショート動画全盛のこの時代、このチャンネルでは長い尺で対談するからこそ、出演者から語りを引き出せるとのコンセプトで番組作りをしているとのこと。

 相変わらず私はテレビやYouTube向きではないなと、引き出しのなさ、自分の才能のなさに打ちのめされつつも、敢えて苦手なことに挑戦して逃げなかったことだけは、自分をほめてやりたい。ぜひご笑覧ください。

「社会現象としてのSNS―情報社会の現在地と未来|山口真一×笹原和俊×宇野常寛」





木曜日, 3月 20, 2025

花粉症

  いつから花粉症になったのか覚えていない。少なくとも小学生の頃は、洗面器で目を洗っていた記憶があるので、その頃から目のかゆみ、花のムズムズ、疲労感には悩まされていた。

 大学院生の頃から市販のアレルギー薬を飲むようになったが、3月といえば学会シーズンで、発表の際に口がパサパサになり、思うような発表ができずに大変な思いをした。今飲んでいるアレグラは第一世代の薬よりはましだが、やはり薬を飲むと調子が悪い。頭がボーっとするし、疲労感もある。

 特に今年は例年よりもひどい。去年の効果があった目薬も点鼻薬もあまり効かない。この憂鬱が終わるころには、桜も散り、新学期が始まっている。ああ、花粉症。

日曜日, 3月 16, 2025

なんとか乗り切った..のか

  3月のキツキツのスケジュールは本当に応えた。道徳研究会(3/7)、BMOTの講演(3/7)、SMWSの発表(3/10)、SSH成果発表会(3/12)、スマートニュース研究会(3/13)、SSIワークショップ(3/13)、DSAIシンポジウム(3/14)、ELSI大学サミット(3//16)。

 体調を崩したらアウトというプレッシャーと、これらのイベントのこと以外はほぼ何もできないという不自由さ。もちろん、発表資料の作成には発表時間の何倍、何十倍の時間がかかっている。

 イベントが始まる前は、これは何の修行なんだと思ったが、終わってから振り返ってみると、新しい知識やつながりができて、それはそれで良かったのだと思える。

 今日のイベントで、何とか山場は乗り切った感はある。あとは、連携協議会、電子情報通信学会、学位記授与式、入試説明会にMOTオープンハウス。これらを無事に乗り切ったら春休み...、という暇もなく、新学期に突入する。

 忙しさの渦中は意外と平気だが、一息ついた時に心に「どっと疲れが出る」という経験をこれまでもしてきたので、注意が必要だ。残り1年となった主任の重責を果たしつつ、研究・教育も頑張る。

  

月曜日, 2月 24, 2025

打鍵感

  科研費をとって最初にかったのがHappy Hacking Keyboardだ。それ以来、その打鍵感のよさからずっとラボでも家でも愛用している。家では無刻印のものを使っていて、サイトのログインで何桁かの番号がもとめられる際、推し間違えてクソっとなるが、それを上回る満足感。

 ここにきて、Lofree Flowのキーボードを知った。さっそくAmazonで注文した。これが中毒性の大会心地よい打鍵感で、なかなか良い。タイプ音はHHKBよりもカタカタ感が強くで大きめだが、私はそれが気にならない。無意味にずっとカタカタやっていたいぐらい気持ちが良い。

 まずは家で仕事をするときはLofree Flowをつかい、ラボではHHKBを継続する。これで様子をみて、どうするか決める。もしかしたら、どちらもLofree Flowにするかもしれないし、やはりHHKBにもどるかもしれない。打鍵感の心地よさは大事。

火曜日, 2月 11, 2025

特効薬でない

 2016年3月に最初の修士学生を送り出した。当時は私も若く、自分が大学院で経験したことを学生に伝えるのだと鼻息荒くしたが、挫折した。「博士に進学して研究者になる」というのが当たり前の環境の方が少数派なのであって、そうじゃない方が大多数なのだから、自分の経験に依拠してもうまくいかなかったのは無理もない。

 あれから年齢を重ね、より多様な研究テーマをを扱うようになった現在は、基本的には学生のやりたいテーマを尊重して支援することにしている。最低限抑えておく必要があるということは指導するようして、できるだけ学生の自主性とやる気に任せている。そうすると、学生ごとの差がどうしてもでてくる(もともとの能力ややる気は、指導だけでどうにかなるものでもない)。それでも、教員ががちがちにレールを敷いてしまったら、学生が自ら考えて試行錯誤する機会を奪うことになる。学生を信じて見守る、という以外にはない。

 その気持ちに変わりはないが、本当にそれで良かったのかと思う気持ちもある。ものの本によると「期待するからつらいのだ」というのがあるが、自分の学生に期待しない教員などいるだろうか。

 自分が費やしたこの時間は、誰かを・何かを改善することにつながったのだろうか。その答え合わせは、おそらく何年も先になるのだろう。教育とは特効薬のように全員に効くものではなく、すぐに効果が見えるものでもない。

 

土曜日, 1月 18, 2025

共通テストの試験監督

  何度か試験監督の話題はブログに書いているが、今回は共通テストのそれである。センター試験が共通テストになった。本当は、今回の試験監督は免除されていたのが、都合がつかなくなった教員のピンチヒッターをやることになった。

 名大の時は明和高校の担当で、2日間まるまる潰れるので、なかなかにしんどい仕事だった。ただ、空き時間に話をすることができて、それはそれで楽しかった。「2日間、ミスなくやりましょう。オー!」みたいな感じになるので、一体感が生まれ、よかった。

 それから、栄から明和高校に行くまでに、古い町並みがあったり、名古屋城の城壁の名残があったりして、それを見ながら歩くのは楽しかった。そして、試験監督の仕事を終えると、栄の駅地下のタリーズでコーヒーを飲んでから、家路につくのが楽しみだった。

 東工大に移ってからは、幸いなことに担当は2日のうち1日でよい。それは助かる。ただ、名大の時のように、先生とおしゃべりするとか、街並みを見るとか、そういった楽しみはない(誰もそんなものを求めてないかもしれないが...)。間違いをおかさないように、神経をすり減らす一日になる。

 今回は大きなトラブルなく終えることができたので、よしとすることにしよう。

木曜日, 1月 02, 2025

あけおめ2025

 年男だった2024年が終わり、2025年に突入。今年はいろいろと節目の年になりそうだ。

 2020年にスタートしたCRESTのプロジェクトは、2025年度が最後(2026年3月終了)。コロナ禍で、かつ、名大から東工大に移籍するタイミングだったので、成果が出せるかどうかがまったく不確実な状況だった。

 それでも、名大の学生たち、CRESTのRA、ポスドク、共同研究者に恵まれて、想定以上の成果を出すことができた。新しい論文が2つ、新しい実験も1つ控えている。小さなグループにしてはがんばったと思う。さきがけのように単独でやるのと違い、グループで成果を出すマネジメントについても学ぶことが多かった(苦労も多かった)。

 一方、2024年10月にスタートしたKProgramのプロジェクトは、今年トップギアにもっていく必要がある。まずは、優秀な人材集め。Brunoが加入したのは幸運だったがが、さらにメンバーが必要。現職の特殊な環境で研究成果を出すは至難の業。

 主任の役職も2025年度まで(換言すると、まだ4か月しかたっていない...)。とにかく、大過なく、東京科学大MOTの「顔」を務めなければならない。これが達成すべき大目標なので、細かいことは気にしない。リーダーとはかくも孤独なものかと身にしみて感じた。しかし、この経験も無駄ではないだろう。

 有限の人、物、金、そして時間、これらの制約の下で成果を最大化する。自身の鍛錬もおこたらない。気持ちは地方の戦国大名。それも悪くない。