提出締切が続き、四方八方塞がりの日々は本当つらい。「やりたいこと」をまったくできないほどの「やらなくてはいけないこと」。逃げたところで自分の首を絞めるだけなので、レッドブルの力も借りて、ひとつひとつタスクを片付け、家族旅行前に最後の1つまでたどり着いた。
9月も中盤に差し掛かろうとしている。今月だけでも依頼講演が4件、学会発表1件。気が付いたら、カレンダーは予定でパンパン。2週連続で米国出張も控えている。「なにくそ、ここで死んでたまるか」と、体に鞭打って前に進む。
私の夏休みどこへ...。
提出締切が続き、四方八方塞がりの日々は本当つらい。「やりたいこと」をまったくできないほどの「やらなくてはいけないこと」。逃げたところで自分の首を絞めるだけなので、レッドブルの力も借りて、ひとつひとつタスクを片付け、家族旅行前に最後の1つまでたどり着いた。
9月も中盤に差し掛かろうとしている。今月だけでも依頼講演が4件、学会発表1件。気が付いたら、カレンダーは予定でパンパン。2週連続で米国出張も控えている。「なにくそ、ここで死んでたまるか」と、体に鞭打って前に進む。
私の夏休みどこへ...。
研究室の学生が「日本行動計量学会」で発表をするため、会場である専修大学生田キャンパスに向かった。学生の発表は午後後半だったので、生田駅で下りて街を散策した。生田には、学生時代にお世話になったいわき市の潮寮があり、思い出が詰まった特別な場所だ。
生田駅の周辺はは、建物こそそれほど変わっていないものの、お店はすっかり変わってしまっていた。学生時代によく行った箱根そば、マクドナルド、本屋さん、TUYAYA、カラオケ屋さんはなくなり、別の店になっていた。あれから25年以上たつのだから、無理もない。
坂道を登って潮寮まで歩いた。今はどのぐらいの学生たちがここに住んでいるのだろうか。僕が学生の頃は、いろんな大学・専門学校に通う人たちがいて、とても活気があった。当時、エアコンが部屋についていたかどうか定かではない。共通の自習室があって、夏はそこか、近所のファミレスで試験勉強をしていた。
あの頃は、時間なんて無限にあって、いくらでも好きなことができる気がしていた。けれど月日が流れ、それは錯覚にすぎなかったと気付かされた。実際には、大勢の誰かが頑張ってくれていたおかげで、元気玉のように時間が僕に注がれていただけだったのだ。
潮寮の裏側の階段を降りると、明治大学の入り口で、その前のローソンはよく行った。すでにそのローソンはなくなり、セブンやファミマが近くにできていた。階段から見える小田急線の風景は僕の日常だった。懐かしい。
潮寮。4年生の時、奥の建物の3F右端の部屋に住んでいた。 |
寮からローソン(当時)に行く階段から見える風景 |
昨年、私と五十嵐さん(名大)で作成したJ-LIWC辞書の商業利用のロイヤリティを企業からもらい、二人で分けた。そして、私は東工大(現 東京科学大)に、五十嵐さんは名大に全額を寄付した。そうすることを、もともと[この論文]の中で約束していたからだ。
All royalties given to TI and KS for the commercial use of the J-LIWC2015 dictionary will be donated to Nagoya University and Tokyo Institute of Technology.
寄付のお礼として、自分の名前がはいったブロックが、東京科学大のどこかに設置されたことは知っていた。しかし、どこにあるのかは知らされていなかったし、自分から探すこともしなかった。
昨日、学生が大学図書館の入り口にそれがあることを発見し、写真を撮ってくれた。自分ではぜったいに見つけられない、ウォーリーを探せ状態。そして、すっかり忘れていたので、「思わぬ再会」といった感じ。
左下には、ノーベル生理学・医学賞の大隅良典先生のお名前がある。日経の記事によると、「大隅良典記念基金」を設立するために、ノーベル賞の賞金相当の1億円を寄付したのだそう。
後進を育てるために1億円を寄付する、という科学者の模範のような行為を目の当たりにすると、論文を何本出したか、国際会議でどれだけ発表したか、研究助成をいくら獲得したかを競うことなど、どうでもよい些細なこと、そして研究者のエゴに思える。
科学という営みを絶やさず、発展させるということが最も大事なことだ。
昨日の補講で2Qの授業が無事終わり、ずっと続いていた過密スケジュールが一区切りついた。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではあるが、2Qは新設授業(ビジネスデータサイエンス)だったため、講義資料・演習問題を準備する締切が毎週あり、膨大な数の会議・雑用をこなしながら、そのための時間を確保するのに苦慮した。
ただ、授業準備のために、新しい教科書を読んだり、プログラムを書いたりといった作業はとても楽しかった。知らない間にPythonが進化していて、自分が勉強した頃にはなかった機能が追加されていた。知らなかったことを学ぶのは、いつだって楽しい。
さて、差し迫った締切のタスクをこなすのに忙しすぎて、自分が置かれている状況、やりたいこと・やらなきゃいけないことを整理することもできていなかった(誰に褒められるわけでもないが、タスクはきちんとこなした)。少しスローダウンして、自分を見つめなす時間が必要だろう。
国際会議IC2S2 2025に参加してきた。今回はスウェーデンのノーショーピングで、首都のストックホルムから電車で2時間ぐらい。かつては織物工業の都市として栄え、現在はその時の工場群はリノベされ、観光スポットとなっている。
今回のIC2S2は、過去最大の約650名が参加した。私の研究室からは、ポスドク2名と博士学生1名がポスター発表をした。東工大に移籍してからは、毎年この時期に院試があるので、ほとんどフル参加することができなかった。今回は院試(A日程)が早く終わったこともあり、チュートリアル以外は参加できた。いろいろ仕事を抱えての出張であることは変わりないが、いつもよりは落ち着いて学会を楽しむことができた。
それにしても計算社会科学の分野の進展の速さには驚かされる。去年はLLMの活用はまだ手探り状態だったが、今年の研究発表では、LLMの活用はもはや当たり前の状態。かつて、機械学習も異分野進出が激しかったが、LLMはその比ではない。この変化は破壊的ですらある。来年はどうなっているのだろう。
IC2S2に参加すると、自分の原点をいつも思い出す。原点といえば、カンファレンスディナーの建物の前で、Oferと再開した。彼もこの学会に参加していたのだ。かつてBirdsongを研究していた時に、Oferからたくさんのことを学んだ。それは私がTwitterのデータ分析を始める前のこと。Oferは今はオンライン行動実験もやっていて、相変わらずエネルギッシュですごい。
来年のIC2S2は米国のVermont。いい研究をして、またこの学会に戻ってくるぞ。
6/6-8の3日間に渡り、CRESTの目玉となるXFinch実験の本番を実施した。XFinchというのは動画を共有するInstagramのようなSNSで、実験用のシステムとはいえモックアップではなく、本格的なSNSだ。
学生たちに協力してもらったテスト実験を2回、100人規模の予備実験1回を経て、1200人超の参加者による本実験。テストや予備実験で見つかった不具合を修正して臨んだが、本番では想定していなかった様々なトラブルが起こった。
しかし、それは最小限に食い止めた。SNSとして使えないほど動画が遅延したり、参加者の行動データの記録に失敗するといった、大きなトラブルはなかった。何とか本実験を無事終えることができた。プロジェクトのメンバーと議論を重ねてきたことが功奏した。
先日のCREST領域会議で、XFinch実験の予備分析の結果を報告した。今後、論文化に向けて分析を進めていく。これで、CRESTの申請書での公約を果たし、2020年から始まった5.5年のプロジェクトをクローズしていくことになる。言葉にできないほどの苦労がたくさんあったが、PIとして様々な経験を積むことができた。支えてくれた方々に感謝したい。
実験成功を記念して、Tシャツを作った。XFinchのキャッチフレーズは、「Blue bird is gone, but not in the blue sky」。何を言っているのか想像がつくだろう。
ビール好きだが、中でもIPAが特に好きだ。今のところ最高のIPA体験は、IndyでNetSciがあったとき、宿泊していたホテル近くのレストランで食べたバッファローチキン+IPAだ。酸っぱ辛いソースと濃く苦いIPAが最高に合う(あー、Bloomingtonに帰りたい)。
日本では長らく「インドの青鬼」ぐらいしか、自分に合うIPAがなかった。しかし近年、色々な国産IPAが出てきて、値段はだいぶするがご褒美にはもってこい。これまでに飲んで美味しかった、自分好みの国産IPAを紹介する。
「国立大学教授のお仕事―とある部局長のホンネ」(木村 幹 (著))という本を読んでいる。この手の話題は、ややもすると暴露本的で、恨み辛みの表現で下品になりがちだが、著者の経験として淡々と客観的に描かれていて、読んでいて苦にならない。
「研究がしたくて研究者になったのに、なぜこんなに時間がないのか?」そんな疑問は大学教員なら誰しもが思うことだろう。依頼された大量の仕事をとにかく片付ける、という作業していると、あっという間に時間がなくなり、研究・教育に割く時間が枯渇する。プライベートの時間まで仕事が侵食してきて、だんだん時間の感覚が麻痺してくる。
この本を読んでも、その問題が根本的に解決するわけではないが、少なくとも国立大学どのような歴史を辿って、教授が今のような境遇になっているのかを知ることは大事だろう。若手研究者がこれからのキャリアを考える際にも、参考になると思う。
なぜ教授になれたのか、それは著者も書いているように、「運」と「縁」ということに尽きる。もちろん、その「運」と「縁」を手繰り寄せるための努力は、当時それなりにしたのだろう。今となってはよく覚えていないが。覚えているのは、その時その時、置かれた場所で一生懸命、やれることをやったということ。
目標を持ってコツコツとやる。日々の素振りが、大谷の特大の一発を生むように。
昨日誕生日を迎え、49になった。ここまであっという間だったような、ものすごく時間がかかったような。40を過ぎてからは、時間の過ぎ方がえげつなく早く感じた、それだけは確かだ。光陰矢の如し、とはよく言ったものだ。
あれやこれや、いろんなことに関わり過ぎて、やりたいことに時間が割けなくなっていることは常態化している。これを期に、やりたいことに優先順位をつけ、断捨離をしようか。
One thing at a time. それが自分には似合っている。
髀肉之嘆。劉備の発言が故事になったことは知られている。今の私を指し示す言葉であるかもしれない。
科学をせず、「消防ホースで水を飲むがごとく」のサムシングエルスをこなしている。「これで科学者と言えるのか?」「いや、とにかく組織のためにやるのだ。」ナイフのような声がやってきては消え、消えてはやってくる。
中野のコワーキングでこの文章を書いている。この辺りは15年ぐらい前、公募の書類を郵便局に出しに行くついでに、よくジョギングしたものだった。あの頃、科学者としての自信と不安の揺れる気持ちを抱えて、走っていた。すっかり、中野駅の周辺は変わってしまった。自分は定職についた。しかし、文字通り髀肉之嘆を地で行く自分がいる。
何か全く関係ない新しいことに挑戦することからはじめようか。それで脾肉が減るならなお結構(外食・惣菜ばかりでなく、ちゃんとした食事をとらないと)。
子供たちをつれて吉祥寺に行ってきた。スワンボートに乗ろうと井之頭公園にいったら、人、人、人。桜の季節ほどではないが、少し待ってからスワンボートに乗った。30分で800円。まあまあ高いですね。
子供たちは楽しかったようで、夢中になってスワンボートを漕いでいた。家族でボートに乗ったことがなかった。その後、ぐるっと講演を散歩した後、茶房武蔵野文庫に向かった。
そうえいば名古屋に引っ越す前は、夫婦二人でカフェ目当てで、たまに吉祥寺にも散歩に行っていた。このブログにも何度か登場している。茶房武蔵野文庫のことはすっかり忘れていたが、二人だけで訪れた喫茶店に子供たちを連れて再訪できたのは良かった。
あっという間に大きくなってしまうであろう子供たちと、こうして休日を過ごせるは幸せなことだ。
この度、拙著「見たいものだけ見る私たち」が三省堂発行の中学3年生向け国語教科書『現代の国語』に掲載されました。本日、実際に教科書を手に取りました。肩書きに「計算社会科学者」と書かれているのも感慨深いです。
僕が中学生の頃の教科書は白黒だったし、あんまり面白くなかった。今の教科書はカラフルで、内容も多様で楽しい。SEKAI NO OWARIのSaoriさんも寄稿しています。こういう教科書で勉強したかった。
大学で物理を学び、複雑系で博士号をとって計算社会科学者になり、国語の教科書に自分の書いたものが掲載される日が来るとは。この文章が生徒の皆さんの学びの一助となれば幸いです。
楽天大学ラボで山口真一さん、宇野常寛さんと対談しました。ショート動画全盛のこの時代、このチャンネルでは長い尺で対談するからこそ、出演者から語りを引き出せるとのコンセプトで番組作りをしているとのこと。
相変わらず私はテレビやYouTube向きではないなと、引き出しのなさ、自分の才能のなさに打ちのめされつつも、敢えて苦手なことに挑戦して逃げなかったことだけは、自分をほめてやりたい。ぜひご笑覧ください。
「社会現象としてのSNS―情報社会の現在地と未来|山口真一×笹原和俊×宇野常寛」
いつから花粉症になったのか覚えていない。少なくとも小学生の頃は、洗面器で目を洗っていた記憶があるので、その頃から目のかゆみ、花のムズムズ、疲労感には悩まされていた。
大学院生の頃から市販のアレルギー薬を飲むようになったが、3月といえば学会シーズンで、発表の際に口がパサパサになり、思うような発表ができずに大変な思いをした。今飲んでいるアレグラは第一世代の薬よりはましだが、やはり薬を飲むと調子が悪い。頭がボーっとするし、疲労感もある。
特に今年は例年よりもひどい。去年の効果があった目薬も点鼻薬もあまり効かない。この憂鬱が終わるころには、桜も散り、新学期が始まっている。ああ、花粉症。
3月のキツキツのスケジュールは本当に応えた。道徳研究会(3/7)、BMOTの講演(3/7)、SMWSの発表(3/10)、SSH成果発表会(3/12)、スマートニュース研究会(3/13)、SSIワークショップ(3/13)、DSAIシンポジウム(3/14)、ELSI大学サミット(3//16)。
体調を崩したらアウトというプレッシャーと、これらのイベントのこと以外はほぼ何もできないという不自由さ。もちろん、発表資料の作成には発表時間の何倍、何十倍の時間がかかっている。
イベントが始まる前は、これは何の修行なんだと思ったが、終わってから振り返ってみると、新しい知識やつながりができて、それはそれで良かったのだと思える。
今日のイベントで、何とか山場は乗り切った感はある。あとは、連携協議会、電子情報通信学会、学位記授与式、入試説明会にMOTオープンハウス。これらを無事に乗り切ったら春休み...、という暇もなく、新学期に突入する。
忙しさの渦中は意外と平気だが、一息ついた時に心に「どっと疲れが出る」という経験をこれまでもしてきたので、注意が必要だ。残り1年となった主任の重責を果たしつつ、研究・教育も頑張る。
科研費をとって最初にかったのがHappy Hacking Keyboardだ。それ以来、その打鍵感のよさからずっとラボでも家でも愛用している。家では無刻印のものを使っていて、サイトのログインで何桁かの番号がもとめられる際、推し間違えてクソっとなるが、それを上回る満足感。
ここにきて、Lofree Flowのキーボードを知った。さっそくAmazonで注文した。これが中毒性の大会心地よい打鍵感で、なかなか良い。タイプ音はHHKBよりもカタカタ感が強くで大きめだが、私はそれが気にならない。無意味にずっとカタカタやっていたいぐらい気持ちが良い。
まずは家で仕事をするときはLofree Flowをつかい、ラボではHHKBを継続する。これで様子をみて、どうするか決める。もしかしたら、どちらもLofree Flowにするかもしれないし、やはりHHKBにもどるかもしれない。打鍵感の心地よさは大事。
2016年3月に最初の修士学生を送り出した。当時は私も若く、自分が大学院で経験したことを学生に伝えるのだと鼻息荒くしたが、挫折した。「博士に進学して研究者になる」というのが当たり前の環境の方が少数派なのであって、そうじゃない方が大多数なのだから、自分の経験に依拠してもうまくいかなかったのは無理もない。
あれから年齢を重ね、より多様な研究テーマをを扱うようになった現在は、基本的には学生のやりたいテーマを尊重して支援することにしている。最低限抑えておく必要があるということは指導するようして、できるだけ学生の自主性とやる気に任せている。そうすると、学生ごとの差がどうしてもでてくる(もともとの能力ややる気は、指導だけでどうにかなるものでもない)。それでも、教員ががちがちにレールを敷いてしまったら、学生が自ら考えて試行錯誤する機会を奪うことになる。学生を信じて見守る、という以外にはない。
その気持ちに変わりはないが、本当にそれで良かったのかと思う気持ちもある。ものの本によると「期待するからつらいのだ」というのがあるが、自分の学生に期待しない教員などいるだろうか。
自分が費やしたこの時間は、誰かを・何かを改善することにつながったのだろうか。その答え合わせは、おそらく何年も先になるのだろう。教育とは特効薬のように全員に効くものではなく、すぐに効果が見えるものでもない。
何度か試験監督の話題はブログに書いているが、今回は共通テストのそれである。センター試験が共通テストになった。本当は、今回の試験監督は免除されていたのが、都合がつかなくなった教員のピンチヒッターをやることになった。
名大の時は明和高校の担当で、2日間まるまる潰れるので、なかなかにしんどい仕事だった。ただ、空き時間に話をすることができて、それはそれで楽しかった。「2日間、ミスなくやりましょう。オー!」みたいな感じになるので、一体感が生まれ、よかった。
それから、栄から明和高校に行くまでに、古い町並みがあったり、名古屋城の城壁の名残があったりして、それを見ながら歩くのは楽しかった。そして、試験監督の仕事を終えると、栄の駅地下のタリーズでコーヒーを飲んでから、家路につくのが楽しみだった。
東工大に移ってからは、幸いなことに担当は2日のうち1日でよい。それは助かる。ただ、名大の時のように、先生とおしゃべりするとか、街並みを見るとか、そういった楽しみはない(誰もそんなものを求めてないかもしれないが...)。間違いをおかさないように、神経をすり減らす一日になる。
今回は大きなトラブルなく終えることができたので、よしとすることにしよう。
年男だった2024年が終わり、2025年に突入。今年はいろいろと節目の年になりそうだ。
2020年にスタートしたCRESTのプロジェクトは、2025年度が最後(2026年3月終了)。コロナ禍で、かつ、名大から東工大に移籍するタイミングだったので、成果が出せるかどうかがまったく不確実な状況だった。
それでも、名大の学生たち、CRESTのRA、ポスドク、共同研究者に恵まれて、想定以上の成果を出すことができた。新しい論文が2つ、新しい実験も1つ控えている。小さなグループにしてはがんばったと思う。さきがけのように単独でやるのと違い、グループで成果を出すマネジメントについても学ぶことが多かった(苦労も多かった)。
一方、2024年10月にスタートしたKProgramのプロジェクトは、今年トップギアにもっていく必要がある。まずは、優秀な人材集め。Brunoが加入したのは幸運だったがが、さらにメンバーが必要。現職の特殊な環境で研究成果を出すは至難の業。
主任の役職も2025年度まで(換言すると、まだ4か月しかたっていない...)。とにかく、大過なく、東京科学大MOTの「顔」を務めなければならない。これが達成すべき大目標なので、細かいことは気にしない。リーダーとはかくも孤独なものかと身にしみて感じた。しかし、この経験も無駄ではないだろう。
有限の人、物、金、そして時間、これらの制約の下で成果を最大化する。自身の鍛錬もおこたらない。気持ちは地方の戦国大名。それも悪くない。