Slackの通知をひたすら処理。毎日、何らかの事務作業をしている。いや、それしかしていない。主任というのは大変である。
主任になって、人と関わることも増えた。面倒ごとに巻き込まれたり、その解決に粉骨砕身する場面も増えた。これも人として必要な経験なのだろう。
アフター5、週末は、SlackもDiscordもメールも見ない。これを徹底しないと、せっかくの時間が台無しになる。きちんとマネジメントし、自分の時間を取す。自分の時間を大切にできなければ、それ以外の時間も大切にできない。
Slackの通知をひたすら処理。毎日、何らかの事務作業をしている。いや、それしかしていない。主任というのは大変である。
主任になって、人と関わることも増えた。面倒ごとに巻き込まれたり、その解決に粉骨砕身する場面も増えた。これも人として必要な経験なのだろう。
アフター5、週末は、SlackもDiscordもメールも見ない。これを徹底しないと、せっかくの時間が台無しになる。きちんとマネジメントし、自分の時間を取す。自分の時間を大切にできなければ、それ以外の時間も大切にできない。
技術経営専門職学位課程は、5年に1回、大学基準協会の認証評価を受けることになっている。事前に書面による審査があり、その後、実地調査がある。
書類作成の時点では、仕事は担当箇所の確認作業ぐらいだった。しかし、実地調査を受ける時点では主任なので、準備や当日対応など重役を任されることになり、すでに9月から様々な準備作業に関わった。
その実地調査が10/18, 19だった。その週は、NAISTで特別講義があったり、KProgramのプレス発表会があったりして、通常よりも忙しかった。何をどこまで備えてよいのかもわからず、膨れた不確実性×プレッシャー×注力散漫で、「しんどい」という言葉に尽きる。
事務職員の方々の献身的なサポートもあり、何とか乗り切ったと思う。どのぐらい上手く対応できたのか、できなかったのか、今となっては思うことがたくさんある。しかし、あまり細かなことにこだわっても仕方がない。達成しなければならないゴールは1つ、それは「認証評価に合格すること」である。それが達成できたならば、主任の役割は果たしたということにしよう。
教授なってまだ半年、主任になって18日目に、いきなり「山場」を迎えることになった。しかし、1.5年の任期のうち、これが一番大変な仕事だとすると、私は「心臓破りの丘」を超えたことになる。そう思うと、気持ちが楽になるのではないだろうか。
この度、第23回ドコモ・モバイル・サイエンス賞(社会科学部門)優秀賞を受賞しました。このような栄誉ある賞をいただき、大変光栄です。皆様からのご支援に感謝し、一層研究に邁進する所存です。
思い返せば、学院長から「笹原先生を推薦しました」というお話をいただいたのが、教授昇格の辞令をもらった4/1。学長推薦者に選ばれたのが5/22。そこから慌てて申請書類を作り、提出。受賞の知らせをもらったのが9/27でした。受賞者には9月初旬から中旬に知らせが行くとのことだったので、すっかり諦めていた矢先の知らせでした。
東京科学大学は3部門中、先端技術部門と社会科学部門の2部門で優秀賞。新大学になってからすぐに2名の受賞者。幸先の良いスタートではないでしょうか。10/25の授賞式に参加してきます。
運動会の季節である。世の中的には、子供の成長を見届ける学校行事のことを指すのだろうが、ここでいう「運動会」は、私の頭の中を指している。新大学、新学期、主任、認証評価、KPro、CREST、会議、会議、会議...。完全にキャパオーバー。
2024年10月1日。何はともあれ、東京工業大学が東京科学大学になった。まだ違和感しかない。でも、後戻りはできない。新大学も自分も。フォローしきれない情報の濁流とSlackの通知。とにかくやり遂げるしかないのだ。
土曜夜といえば、思い出すのが「ノブナガ」というCBCテレビでやっていた深夜番組だ。今田耕司と東野幸治が司会のバラエティーで、お笑いのファビアンが出ていた「思い出かけっこ」というロケ企画が好きだった。今ならコンプラ違反になるであろう下世話なトークも面白かった。
ノブナガは僕にとって、名古屋の良き思い出の象徴だ。博士号を取得したものの、鳴かず飛ばずで、長いこと安定した職に就けなかった中、最初の定職が名大だった。独特の文化をもつ名古屋に引っ越し、初めて任期を気にする必要がなく、研究に打ち込めるようになった(本当に名大には感謝している)。土曜夜の時間に、安心して好きなお笑い番組を見て過ごせるようになり、その頃やっていたのがこの番組。ノブナガで紹介していた東海の情報を見て、中部地区の文化や雰囲気を知った。こういう独自な地方番組があったのも、名古屋の好きなところ。
当時はまだ子供もおらず、助教だったので学生もおらず、自分と向き合う時間がたっぷりあった。あれほど自分の時間を謳歌した時代はない。今となっては、自分のことを考えるよりも、プロジェクトのこと、大学の業務、授業のことを考えていることの方が多い。土曜も授業がある。来月から、また1つ、いや2つ、重い仕事が始まる。増えるのは仕事量だけでなく、責任とプレッシャーもだ。
コロナ禍に名古屋を去ることになったが、何かを置き忘れてきた感じが拭えない。外出が禁止され、何もかもがZoomになり、「穴倉」で生活していたコロナ時代に負った傷がまだ癒えていない。だから、ノブナガの「思い出かけっこ」を見ていた頃を懐かしく、羨ましく思う。
「あなたは何したイエスタデイ? セイ」
舞い込んでくる仕事をこなすのに必死で、自分のやりたいことまで辿り着かない。そんな日々が続くと、どんどん元気もなくなってくる。しかし、それを乗り越えるための「仕組み」を自分の中に持っていないと、この「流されている感」は克服できない。
その方法1つが禅の考えを身につけることかなと思った。禅の本を探していて、たまたま「禅、シンプル生活のすすめ」という本を見つけた。試し読みでパラパラと見ていたら、今の自分に必要な言葉が多くあったのでさっそく購入して、通勤の行き帰りで読んでいる。
裏側に自信が見える不安は、気のもちようでいくらでも超えられる
「因縁を結ぶ」という言葉があります。物事は、「原因」と「縁」が結びついて結果が出るということです。
覚悟を決めるということ。それは、事実を事実として受けとめること。
心に刺さった言葉は枚挙にいとまがない。この本には、禅を日々の生き方に活かすヒントが詰まっているので、折に触れて読み返してみたい。
毎年夏休みになると、立教大学体育会水泳部が水泳教室を開催し、近所の幼稚園や小学校の子供たちが大勢参加する。今年はうちの子供たちも参加し、水泳部のお兄さん先生、お姉さん先生にお世話になった。立教大学のプールの設備はさすがに立派で、水泳部の学生たちもとても親切に指導をしてくれた。こういう大学の社会貢献は素晴らしいなと思った。
子どもたちは水に入るのを怖がらないだろうかと心配していたが、全然そんなことはなく、毎日楽しそうに水泳教室に通っていた。5日間の練習で、上の子も下の子も蹴伸びができるようになって、賞状をもらい、とても喜んでいた。泳げて損することは一つもないし、きっと泳げることで子供たちの自信にもつながるだろう。
私が子供の頃は、短距離走は得意だったが、マラソンと水泳が苦手だった。特に泳ぐのは不得意で、泳げてもせいぜい25メールぐらい。私もそろそろサボっていた水泳を再開しないと。
子供たちの成長、大学の役割について再考した一夏のイベントだった。今年の水泳教室の様子がHPにアップされている。
院試業務、中間審査、学生指導、舞い込む依頼などなど。お盆休み明けの怒涛の仕事ラッシュを何とか乗り切った。「しんどかった」の一言に尽きる。昨年10月、11月に、全く休みが取れずに心も体も壊れかけた経験があるので、今回は要注意だった。今こうしてブログを書いているということは、何とか生き延びたということ。
先日、日曜にAbema Primeの出演依頼が来て、Zoomで出演した。忙しい合間をぬっての出演で、思うように準備もできなかったので、悔いが残る回答しかできなかった。それで、苦手なものにあえて挑戦するというのは、自分としてはよくやったと評価してあげたい。
ご興味があれば、こちらをご覧ください。https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p5898
2024年度前期の講義もゼミも終わり、ようやくお盆休みという小休止が訪れようとしている。このタイミングで、前期は何を成し遂げただろうか、後期は何をしようかということを改めて考えている。
今年は大学の雑用が増えるか思っていたが、現時点では(もちろん増えてはいるが)そこまでではない。一方で増えたのは、突然依頼が舞い込む責任が重めの仕事だ。定期的にやってくる論文のエディター業務や査読も加えると、大学の仕事というよりはそれ以外が増え、かなりの時間を費やすことになった。自分がお願いする立場になることもあるので、「お互い様」な仕事は引き受けるしかないが。
授業をやり、勉強会をやり、学生を指導し、研究員と議論し、倫理審査の手続きをし、大型プロジェクトのマネジメントやりつつ、委員会の仕事、講演、取材、執筆、そして副主任業務。ああ、8月中に科研費も書かなくては...。スーパーマンでもない限り、これを回し続けるのは不可能なのではないか。せめて、研究室に助教がいると助かるのだが。
こうして文章にしてみると、自分のやりたいことを蔑ろにしてきたことを痛感する。研究者が研究をやらなくて何をする。仕事を整理整頓した上で、3Qに賭ける。
このブログを見返して見ても、夏の気温の変化ぶりが感じられる。エアコンがなければ生きていけない状況は、異常としか言いようがない。
2007年の記事には、「ここのところ猛暑が一段と厳しい。連日昼間は35度近い」という記述がある。35度なんて、今の感覚では「涼しい」ほうだろう。
「酷暑」という言葉が流行語になったのは、2010年だそうだ。このブログに、2018年に今夏記述がある。「40度近い酷暑とエアコンなしでは眠れない日々が続く。昨日は早く床に着いたせいもあって、ぐらいに目が覚めてしまった。エアコンの風を浴び続けているせいか、体もだるい。」2018年にはすでに、40度近い気温を名古屋で体験していたのか。
こう暑いと、自覚症状もないまま死に至る危険性もあるとして、熱中症もサイレントキラーと呼ばれることがある。自分たちの代はともかく、子供や孫たちの代には、地球は住めなくなっているのではないかと、心配することしきりである。
計算社会科学の国際会議IC2S2 2024に参加するために、ペンシルベニア大学(フィラデルフィア)に来ている。昨夜のカンファレンスディナーを終えて、ホテルに帰ってすぐに寝たら、朝3時に目が覚めてしまった。まだ時差ぼけが直っていない。
今回は変化を感じる回となった。かつての計算社会科学といえば、ソーシャルメディア分析が全盛で、非構造化データを扱うスキルをもつCS研究者が多かった(当時のことは、[こちら]の記事にも書かれている)。
しかし、回を重ねるごとに社会科学、特に、定量的研究をする社会学や政治学の研究者が増え、大規模言語モデル(LLM)が普及したことで、一気に研究の質・量ともに向上した。それから、新たに参入した博士課程の大学院生や女性研究者の数も増え、盛んにネットワーキングをしている姿が印象的だった(それだけ、アカデミアで、テニュアをとって生き残ることは熾烈なのだ)。
私の研究室からは3件の発表があった。口頭発表をする予定だったポスドクは諸事情で参加できなかったので、私が代理発表することになった。結果的には、自分でスライドを直したことで理解が深まり、研究の強みも弱みもわかったので、その点は良かった。発表でもらった質問も今後の分析につながるものだった。学生1名と共同研究のポスター発表も無事終わった。
次回のIC2S2 2025はスウェーデンで開催される。ポスドクや学生にどんどん出してもらいたいところだが、このところの円安で、出張費が劇的に高騰しているという頭が痛い問題がある(1名派遣するのに、60万円以上かかる)。学問的な熱と予算という現実問題に板挟みになりつつも、最善を尽くすほかない。
Amazonに「ネットワーク科学入門」のコメントが載っていたので読んでみたら、あまりにも適当なコメントだったので、絶句した。
まず書き出しは、
図書館で借りてザッと目を通した程度での感想です
と。いやいや、それで感想書いちゃ駄目でしょ。そして、
副題の印象とは違ってこの本にはPythonのサンプルコードや数式はそんなには出て来ない感じで、
と。いやいや、チュートリアル、網掛け、Boxを読んでないでしょ。しかも、わかやすさのために、そういう構造にしていることが冒頭に明記されている。
p.17でvertexをバーテックスと表記していますが、普通に頂点で良いのではないかと思います。
これに関しては、訳の表現揺れかと思って、本書を再確認したら、「分野によってはそういう呼び方をする」という意図なので、これで全く問題ない。しかも、訳注まで入れている。
もちろん、誤植や間違いがあれば直ちに訂正して、表に載せます。しかし、こちらには何の落ち度もないのに、 「ザッと目を通した程度」で一方的に適当なことを言われると、流石に気分が悪い。多くの時間を割いて作業した訳者に失礼でしょ。
熊谷市が41度越えの気温を記録して、「そんな暑い地域もあるんだね」ぐらいに昔は思っていた。しかし、今やこのぐらいの気温はどこでも記録しうるし、今日の新座は体感気温はこれを上回っていた。市長選挙の投票のために、近くの小学校まで家族で歩いて行ったが、命の危険を感じるほどの暑さ。
この数日は、夜でもエアコンを消すことができないぐらい暑かった。エアコンを消せば熱中症の危険性があり、つけていると冷房のせいで体がだるくなる。もともと冷房が得意なほうではないので、日中もエアコンが効きすぎると具合が悪くなる(アメリカにいたときは、冷蔵庫の中かと思うほど極端に冷やすので、それよりはましだが)。
この異常な暑さは、日本がどうのこうのという話ではなく、世界規模で温暖化が進行していることに起因するのだろうが。自分が生きている間はともかく、自分の子どもたち、さらには孫たちの時代の気候は大丈夫なのか、本当に心配になる。
買ってよかったと思える商品などそうないが、これは今でも満足している。「ソーダストリーム」だ。ガスシリンダーを装着し、冷たい水を入れたボトルに「シュー」と炭酸ガスを注入する。私の場合、むせるぐらい「強強」炭酸が好きなので、長押しで3プッシュする。
純正のシロップもあるが、業務用のコーラやレモネードベースがあれば、あっというまにお家ドリンクバーの出来上がり。粉末の麦茶に炭酸を注げば、なんちゃってノンアルビール(風の飲み物)になる。休肝日にぴったり。
以前は、缶の炭酸水をはご買していたが、重いし、缶を捨てるのが面倒だし、(リサイクルに出すとはいえ)そもそも環境に良くない気がする。ソーダストリームのガスシリンダーは、古いものと交換で買う方式のため、確実に回収され、再利用される。その点はとてもエコ。
いよいよ夏の暑さがやってきたので、せめてお家では炭酸ドリンクを飲んで涼み、リラックス。
昨日で1Qの授業が終了。4月、5月は忙しかったが、何とか乗りれた。再来週から2Qが始まるので、それまでにいろいろ立て直さないと。
やりたいことはたくさんある。港区のスポーツジムに通うつもりで、ジョギングシューズまで買ったがまだ行けてない。プールに一度通ったきりだ。昼休みを活用して、今度こそ運動する習慣をつけよう。
本も論文も読みたいものがたくさんある。特に、Nature+のサブスクに入ったので、Nature Human Behaviourをはじめとして、主要雑誌が月額9800円で読み放題。なので、読まないともったいない。
運動も読書も続けることは、体と頭の「体幹」を鍛えるためには重要だ。いつか花開かせるときの土台になる。そのための時間を捻出せねば。
「屋根より高い、こいのぼり〜」うる覚えではあるが、下の子が大きな声で歌っている。この感じがかわいい。5月5日はどこの家庭でも、子どもたちの健やかな成長を願ったことだろう。
風になびく鯉の尻尾を久しぶりに見た気がするが、それもそのはず。コロナ禍で、もう何年も穴ぐらの生活をしていたので、見た記憶がないのだ(去年は昇任関係の書類作成に追われて、GWはなかった)。
無我夢中で研究(雑用?)をして今の職に就いたが、自分もかつては子どもだったわけで、健やかな成長を願われて、ここまで大きくなったのだろう。 そう思うと、何となく感慨深い。
優雅になびく鯉のぼりのごとく、時に風に身を任せ、時に風に逆らい生きていこう。
サンデーモーニングにインタビュー出演しました。OpenAIが東京に拠点を作ったり、MetaがLlama 3を発表したりと、毎日のようにAI(特に、大規模言語モデル)に関する話題がニュースで報じられています。なぜAIを開発している企業が日本に拠点を新設するのか、生成AIが遍在する社会では何がおこるのか、計算社会科学者の立場で回答しました。
正直、誰も生成AIの今後がどうなるかなんて予測はできないし、「予測」なんて言葉を使っている時点で負けなのだと思います。1年前、ChatGPTが出てきて大騒ぎでしたが、もはやLLMをビジネスで活用するのは当たり前になっています。かつてないペースで民主化・大衆化が進んでいる生成AI。大学の研究者として何ができるのか、予断を許さない状況です。
卒業式の余韻に浸る間もなく、入学式、オリエンテーション、そして2024年度の学期がはじまった。年度末の予算処理に間違いがなかったも心配だし、新年度の手続きでもヒヤリ案件が多発。ここを乗り越えて、研究と向き合う状況を整えたいところ。
コロナ禍に東工大に移ってきて、まずは新しい環境に慣れよう、授業の完成度を高めよう、自分が関わっている研究で成果を出そう、そして、依頼原稿、招待講演、本の執筆・翻訳と、我武者羅にやってきてきた。当時は、その先にどんな未来が待っているかなんてらからなかった、その成果が一気に出たのが2023年度だったように気がする。
さて、2024年度はどうなるか。いや、どうなるかではなくて、どうしたいかだ。先手先手で動いて2024年度を作っていく。そして、今年はプライベートももっと充実させたい。楽しいことがある日々は頑張れる。
3/26はあいにくの雨だったが、東工大の学位授与式がとり行われた。公式情報によると、東工大から学位を授与されたのは、学士1,041人、修士1,653人、専門職学位課程25人、博士167人とのこと。みんな、これからの日本を背負っていく逸材たちだ。
私の研究室からは4名(専門職学位課程)が無事に卒業した。うち2名は、プロジェクトレポートの優秀賞に選ばれた。また、1名は社会人学生として、博士後期課程に進学する。
学位記手交と謝恩会後、笹原研の打ち上げをした。久しぶりに学生たちと会い、楽しい時間を過ごし、卒業生たちに言葉を贈った。この日の主役は卒業生だが、学生たちがサプライズで、私の教授昇進のお祝いを準備してくれていた。ハンディーなコーヒーミルと手編みのドリッパー。プレゼントはもちろんだが、学生たちのその気持ちがとてもうれしい。
2023年度が終わろうとしている。昨日、CICの居室のドアに、准教授から教授に肩書が変更されたマグネットが張られた。定年退職まで髀肉之嘆なんてまっぴらなので、「自由な発想による研究」がずっとできてない現状を打破する。
思いっきり尖った研究をする。それが自分がやりたいこと。
研究室を運営するというのは本当に難しい。名大時代は、いつも誰かしら研究室に学生がいて、学生同士が教え合う「横の学習」があった。今の環境は社会人がメインの特殊な環境で、横の学習が原理的に難しい。
大学の廊下でばったりあって、「あの件はどうなりましたか」みたいな会話はできない。オンラインベースだと、会おうと思わないと会えない。それでもその制約を克服しようと、負担増を覚悟で、ゼミを週2回に増やし(DとM)、フルタイム学生の勉強会、そして1on1を行っている。
この3月で笹原研の3期生が卒業する。これまでの卒業生は3名、今回は4名で、合計7名になる。うち、3名がプロジェクトレポートの優秀賞を受賞し、さらにそのうちの1名は総代を務めた。博士後期課程に進学したのは、7名中3名。これが東工大に移籍してからの数字。ゼミ等をおろそかにせずに取り組んだ成果だと信じたい。
仕事は増える一方だが、教員一人で研究室運営をしなければならい。自分の負担は軽減しつつ、研究室全体で成長していくにはどうしたら良いか。そして、この特殊環境でも研究を諦めず、成果を出していくためにはどうしたら良いか。模索は続く。
田町の本屋さんで見つけて、面白そうだったので、『世界は経営でできている』(岩尾俊兵 (著))をさっそく買って読んでみた。この本でいうところの「経営」とは、「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる様々な対立を解消して、豊かな共同体を作り上げること」である。
仕事、家庭、恋愛、勉強、老後、科学、歴史など色々なテーマに関して、あるある的な失敗事例を取り上げ、それらがどう経営の視点で捉えられるのかが書かれている。シニカルで、時に自虐的なユーモアを交えつつ、小気味よいテンポで展開される。お笑いのリズムネタのように、プロットが定型なので、下手すると途中で飽きられてしまうが、そうならずに読者を誘うのは筆者の腕だろう。
難しいことが書かれているわけではない。取り上げられているテーマにおいて、経営が欠如していること(=目的と手段の転倒、手段の課題化、手段による目的の阻害)が問題なのだという。私が特に関心したのは、以下の記述。
日本応用数理学会の応用数理ものづくり研究会セミナーで講演をしてきた。以前、アドバンスソフト株式会社のセミナーで講演したとき、参加者のお一人からお誘いいただいた。数値シミュレーションをバリバリやられている大学や企業の方が多いので、私は完全にアウェイだな、他の講演者の話も楽しめないかなと思っていたら、そんなことはなく、とても面白かった。
大規模地震シミュレーションをAIを使って高速に計算したり、AI融合シミュレーションで都市街区スケールで微気象予測するというのが前半の二名の話。特に、二人目は東工大の先生で、大学発ベンチャーもやられているということ。後半は、私が毎度まいどのフェイクニュースと生成AIの話。場違いな気もしたが、異分野の集会で話をするのは慣れっこ。四人目は、最近の生成AIのトレンドで、自分では追い切れていなかったので参考になった。
物理シミュレーションと深層学習を組み合わせるという発想がなかったので、社会科学で応用の場面があるかはともかく、とても面白かった。「AI融合シミュレーション技術=物理シミュレーション(時間外挿)+AI超解像(空間内挿)」という発想はすごい。
しばらく、あまりにも忙しすぎて、学会や研究会に参加できていなかったけれど、せっかく東京にいるのだから、フットワーク軽くこういうセミナーに参加したいところ。(しかし、実際は会議や雑用に阻まれて、なかなかそうできない)
今日の特別講義が終われば、とりあえず謝金が発生する2023年度の講演・講義は終了。とにかく今年度は数が多かった。来年度は控えよう。
気が付くと2月が終わろうとしている。1月と2月は、学生たちのプロジェクトレポートの指導をして、審査して、授業をして、講演をして、あらゆる確認、確認、確認で時間が過ぎた。もはや何が忙しかったのかも思い出せないぐらい、忙しかった。プロジェクトレポートでは、研究室の学生2名が優秀賞に選ばれた。指導の成果が形になったのは何より。
もう1つ重要案件が残っていて、これを仕上げなければ2月は終われない。本の分担執筆だ。毎度毎度、執筆にとりかかるのがギリギリで(わざとではなく、本当に忙しいのだ)、連休だというのに、籠って作業。いつもの部屋でテレビの音声をBGMにして書いている。
「フェイクニュースを科学する」の時も、「ディープフェイクの衝撃」の時もそうだった。執筆は孤独で苦しい作業。これが終わったら、しばらく原稿の執筆は遠慮しよう。晴れて脱稿すれば、3月は授業がないので、もう少し研究に集中できると思う。自分の研究時間のために、こいつを書き上げる。
研究室の学生が東大との共同研究に取り組んでいて、そのテーマが「スマートウォッチでマインドフルネスを計測する」というものだ。マインドフルネスとは瞑想の一種で、現在において起こっている経験に注意を向ける状態のこと。
先日、共同研究の打ち合わせで、終末医療に関わる職業の人たちが燃え尽き症候群に罹りやすく、マインドフルネスのプログラムを受けることで回復するという話を聞いた。
終末医療に関わる人たちは、死を待つ人たちに自分たちは何がしてあげられるのか、という自問自答を繰り返し、辛い感情を抱えながら、日々高度な意思決定をしていかなければならない。自分の感情を押し殺し、それに気づかないふりをして、粛々と仕事をこなしていく。その無理が続くと、燃え尽き症候群になってしまうというのだ。自分の感情に気づけない人は、相手の感情にも気づきにくくなる。結果的に、ケアする人もケアされる人も不幸な状況になるリスクがある。
終末医療に関わる人に、マインドフルネス瞑想をしてもらうことで、自分の身体が発する「声」に意識を向けられるようになり、「自分は辛かったんだ」ということに気づくことができるようになる。自分の心の状態を客観視することで、心の悪い状態から良い状態(ウェルビーイング)へと遷移するきっかけを作ることができる。なるほどと思った。
研究室を主催し、小さな、しかし重要な意思決定を日々している身としては、共感できる部分がある。自分がやりたいこと、学生がやりたこと、プロジェクトとしてやらなければならないこと、大学の一員としてやらなければならないこと、依頼された仕事、予算の制約、時間の制約、皆が気持ちよく学べるように・働けるように。ANDが取れない板挟みに四苦八苦、仕事量と時間のプレッシャーに翻弄されていると、どうしても自分の感情は二の次になる。自分が自分に「辛かったね」と言ってあげられる状態を作ることで、そこを乗り越えられるようになるというのは興味深い。
マインドフルネスで自分の体の声を聞く。何があっても、自分が必ず帰って来られる唯一の場所。それは自分の身体だ。その身体が悲鳴をあげていることを無視しない。それは大事なことなのだ。
東工大に着任した当時は、名大と東工大を合わせても学生数名という小さい研究室だった。その頃は、忙しいながらも自分でも手を動かす余裕も多少あったし、技術支援員のサポートもあり、研究室全体を把握したり、学生一人ひとりに費やす時間もあった。
しかし、ここ1, 2年で研究室の学生数が大幅に増え(大変喜ばしいことだが)、研究員の数も増え、自分の仕事も激増した。もはや自分で手を動かして研究をする時間はなく、何かで詰まると、研究室が回らなくなるかもしれない、という心配が常にある。実際、昨年末に体調を崩したときは、本気でまずいと思った。
組織の規模が小さいうちは、常識的なやり方で情報共有も意思疎通もスムーズにいくのだろうが、組織の規模が大きくなるとそうはいかない。多様な学生を伸ばしつつ、しかし研究室としての一体感も醸成しつつ、パフォーマンスも上げていく。そんなことは可能なのだろうか。
自分が院生の頃は、強烈な個性とカリスマで学生たちを引っ張っていく先生のもとで学んだので、まったくタイプの違う自分にはまねできない。そして、時代も違う。科学者が科学だけやっていて良い時代は終わった。
それはわかっているが、自分がやりたいのは科学だ。でも、マネジメントは必要だ。研究者としての試行錯誤が続く。
久しぶりに、締切に追われない年末年始を過ごしている(休みが明ければ、やること山積だが)。子供たちもじーじ、ばーばと会えて、うれしそうにしている。
2024年は辰年で、私は年男。実り多い年にするぞ、と気持ちを新たにした。そんな矢先、元旦の能登半島地震が起きた。テレビでアナウンサーが「逃げてください!」と叫ぶ様子に、息子も普通じゃない空気を感じたようだ。事態の深刻さが明らかになるにつれ、3.11の記憶ともリンクして、大変なことが起きたという実感が沸いてきた。
被災された方々には、心からお見舞いを申し上げます。Yahoo基金がすぐに緊急支援募金のサイトを立ち上げてくれたので、少しではありますが募金しました。1月3日 0時時点で7億円を超え、善意が続々と集まっています。一日も早く困っている現地に人に届けば良いなと思います。
そして1月2日には、JAL機と海上保安庁機が衝突し、能登半島地震対応で物資を届ける任務についていた職員5名が命を落とすという痛ましい事故が起こりました。あまりにも痛ましい事故で、言葉になりません。心からからご冥福をお祈りいたします。
2024年が始まってたった2日で、1年分以上の不幸があったような感じがします。世界に目を向ければ、戦争をしている国があって、収束の気配もない。しかし、これが我々が生きている時代。目を背けることも、逃げることもできない。