土曜日, 12月 26, 2020

良いお年を

 第4回のデジタルマーケティングの授業が終わった。残りは3回。うち2回は外部講師による講演なので、実質的に自分が担当するのはあと1回。

 この講義を担当することになった時は、果たして、社会人院生を対象に満足のいく授業になるだろうかと心配だった。しかし、みなさんモチベーションが高く、グループワークも活発なので、毎回楽しみながら授業ができた。準備は大変だが、より良いもの目指す努力は望むところである。

 さて、授業がひと段落したので、冬休み中に溜まっている仕事にこれから取り掛かる。共著の本の原稿の修正と後書きの執筆、とある事典の原稿執筆と査読、1月に集中講義の準備などなど。

 新たにCRESTのプロジェクトも始まり、東工大に異動してから色々と活躍のチャンスもいただいた。来年はますます忙しくなるだろう。それもまた自分の成長の糧だ。

 何はともあれ、良いお年を。

火曜日, 12月 22, 2020

あなぐら

  「あなぐら」にこもったまま2020年が終わろうとしている。見直してみたら3月のブログでコロナの話題を書いていた。「数ヶ月で終息するだろう」などいう楽観的な予測が外れ、まもなくコロナ禍のメリークリスマスである。

 去年の今頃とはいろいろなものが変わった。去年の12月といえば、名大の学生たちとNTT-Twitterコンペに優勝して、研究室としても盛り上がっていた。しかし、4月からほぼ研究室の活動はオンラインのみになり、研究室の活動としては去年の今頃ほどの活発さはない。もちろん、学生は彼らなりに頑張ってはいる。こんな状況でも着実に成長した学生もいる。一方で、伸び悩んでいる学生もいる。とにかく、彼らができるだけ研究しやすいようにと頑張ったつもりだ。

 今年は講演も原稿執筆もかなりこなした。だからと言って、誰かが褒めてくれるわけでも、お疲れ様と労ってくれるわけでもない。お役に立てればと、粛々とこなした。それでも、講演を熱心に聞いてくれたり、質問がたくさん出たりすると、「報われた」という気分になる。そのために頑張っているようなものだ。

 今年は帰省もできない。年明けには色々な締め切りが待っている。少し休んで、ボーっとしたいな。

土曜日, 12月 05, 2020

デジタルマーケティング

  今年度の4Qからデジタルマーケティングの講義を担当することになった。「フェイクニュースを研究している人がなぜ?」と思われる方も多いだろう。

 私はずっとアカデミアの道を歩いてきたので、企業のマーケティングの実務についてはよく知らない。その部分に関しては、知人のマーケティングの実務家をお呼びして、ゲスト講演をしていただく。

 しかし、計算社会科学の研究者なので、人と社会と情報の相互作用から生じる現象については、色々な理論やその理解の仕方を知っている。そういう視点から見ると、実はデジタルマーケティングは計算社会科学の実践の場と見ることができる。実際、講義の準備のために様々な本を読んでいて、デジタルマーケティングとの接点や面白さを発見した。

 今日は第一回目の講義がオンラインで開催され、30名ぐらいの受講生が参加した。私も受講生も自宅からZoomにつなぎ、60分で講義、その後、グループワークを行った。受講生はみんなとても熱心で、短い時間でも上手に議論し、発表もそつなくこなした。さすが社会人学生だ。

 準備も講義も大変だが、その充実感はこれまでには得られなかったものだ。適度な緊張感の中で仕事ができ、その都度、達成感が得られるというのは幸せなことだ。特に、このコロナ禍においては。

月曜日, 11月 30, 2020

カレンダーに埋もれる

 ものすごい勢いでカレンダーの空き時間が埋まっていく。知り合いの先生のお誘いはなかなか断るわけにもいかず、こちらがお願いする立場になることもあるので、できるだけ引き受けることにしている。それはお互い様。

 最近、本気で断りたいと思っているのはマスコミ関係。「大学の先生なのだから、インタビューに答えて当然」みたいな上から目線でメールが来ると、本当に困ってしまう。授業準備に学生指導、そして事務作業に雑用と、もはや自分でコードを書いて研究する時間などない。そして、Zoomの会議、会議、会議。

 いい研究をして、学会に出かけて行って、いい発表をして、おいしいご当地グルメを食べる。なんて、経験はせずに2020年が過ぎていく。最後に学会らしい学会に出たのは、大分であった国際会議が最後だったなぁ。金沢でやっていた研究会を抜け出して、新幹線と特急を乗り継いで学生の発表に駆けつけたのだった。もう、そんなこともできないし、今ならZoomになるだろう。

月曜日, 11月 02, 2020

安寧と焦燥

  10月は原稿などの締切がなかったので、「安寧」という大袈裟な言葉がぴったりな月だった。9月の忙しさは何だったのか、という感じ。もちろん何もなかったわけではなく、名大の学生たちとゼミやジャーナルクラブを再開し、学生の論文を直したりして、これまで通り研究指導にはしっかり時間をかけた。

 そして月が変わり11月になった。Q4の授業の準備を急ピッチでやらないとまずい時期になった。依頼された講演や授業もある。過去の資料の使い回しで、新しいところが何もない発表は嫌なので、ある程度の作り直しが必要だ。院試の業務もある。

 決してサボっているわけではないのに、遅々として成果が出ない。一方、Twitterでは、毎日のように、知人が論文を発表したり、本を出版したりと、コロナなんてお構いなしに業績を上げている情報を見る。なんだろう、この差は。

 いやいや、人は人。自分は自分。一つ一つ納得のいく仕事をする中で、自ずと成果も出るはずだ。

 

 

 

 

水曜日, 10月 21, 2020

オードリー・タン

 久しぶりに一冊の本を一気に読んだ。ここ数年あまりにも忙しく、調べものをする以外で読書する余裕はほとんどなかった。ここまでよく書けた面白い伝記はそうはないと思う。

  天才デジタル担当大臣として、コロナ禍で急に日本で注目されるようになったオードリー・タン。最初に彼女に興味をもったのは、rebuild.fmに出演した回を聞いた時。キレがよく、ユーモアに満ちた回答にとても惹きつけられた。自分のような凡人には到底及ばないセンスをもちぬしだ。そして、口だけでなく、実際に社会を変えている。

 彼女の自作の詩らしいが、以下はとても素敵な言葉だと思う。

When we see the Internet of things, let’s make it an Internet of beings.
When we see virtual reality, let’s make it a shared reality.
When we see machine learning, let’s make it collaborative learning.
When we see user experience, let’s make it about human experience.
Whenever we hear the singularity is near, let us always remember the plurality is here.

   ぜひ一読をお勧めしたい一冊だ。

水曜日, 10月 14, 2020

ああ東上線

  東上線には親しみがある。理研で研究員をしていたとき、下赤塚に3年住んでいたので、東上線の下赤塚か地下鉄赤塚の駅を利用していた。その時は、2路線使えたので、どちらかが止まっても、なんとか職場や東京方面に行くことができた。

 昨日、池袋付近でポイント故障があったらしく、東上線が3時間以上動かなかった。志木駅のホーム待っていたが、急行電車は動く気配がなく、地下鉄に乗り継ぐための各停電車は満員で乗れない。

 一旦改札を出て、駅構内のスタバで時間を潰したり、本屋に行ったりしたが、一向に改善されないので、家に帰ってリモートワークをすることにした。幸にして大事な会議などはなかったが、研究室のゼミがあった。書斎の入り口をダンボールで塞いで子供たちが入ってこないようにガードして、何とかゼミを終えた。

 リモートワークという選択肢を選べるのはいいことだが、小さな子供がいる家庭では、全く仕事の効率は上がらない。書斎があってもこうなのだから、ましてや書斎がないご家庭ではなおさらだろう。

 今日は頼みますよ、東上線。

土曜日, 10月 03, 2020

3本書き終えた...

 9月は依頼原稿の締め切りが3つ合って、本当にしんどい月だった。異動したばかりで、書類仕事が山のようにあり、まとまった時間がなかなか取れなかった。しばしば、よくわからない仕事も舞い込んだ。それぞれの締め切りを一週間伸ばしてもらうことにはなったが、先日、3つ目をなんとか書き終えた。本当に安堵した。

 とはいえ、まだまだやらなければならないことは山積み。Q4に向けて授業の準備をしなければならない。鳥取大の集中講義の準備もあった。学生との論文は、かなり直さないといけない。まだ東工大のシステムにも慣れていないので、事務作業には毎度時間がかかる。

 しかし、好転の兆しもある。東工大MOTを受験しようとする人たちは、モチベーションの高い社会人が多く、様々な企業に勤めている方がいるので、ずっとアカデミアにいる自分にとっては新鮮で刺激も多い。そして、機会の多さという点では、東京はやはり地の利がある。 

 とりあえず、頑張った自分にご褒美。秋味で乾杯。

 

土曜日, 9月 26, 2020

環境を変えるということ

  職場が変わり、引っ越して、環境が変わる。年をとると、環境を変えることがこれほど苦になるのかと痛感している。自分一人だけなら、そうでもないのかもしれないが。

 大学で上京して以降、川崎→南大沢→お台場→下赤塚→ロサンゼルス→中野→名古屋→ブルーミントン→名古屋→新座と、2回の海外を挟んで、いろいろなところに引っ越しをした。中でも、名古屋は8年住んだし、子供たちが生まれた場所だし、何よりも車で1時間走れば、海も山も大きな公園もある環境、そして喫茶文化が大好きだったので、名古屋を離れたのは残念な気持ちで一杯である。

 一番のネックは子供たちの学校だ。通っていた幼稚園はキリスト教系で、優しい先生たちと仲の良い友達がいたので、息子も楽しそうに通っていた。そんな中、自分の仕事の都合で息子が別の幼稚園に通わなくてはならなくなるのは、申し訳ない気持ちで一杯だ。もちろん、新座は新座でいいところだし、息子も新しい幼稚園に少しずつ慣れてきているのは幸いだ。子供たちが小さいうちの異動でよかったという意見は真っ当だろう。

 名大にはこれからも指導を継続する学生たちもいる。彼らが卒業するまでは自分が責任をもって指導すると決めている。東工大は東工大で、(社会人の)院生が来るようになるだろう。新しい授業の準備もしなければならないし、これまでよりも会議は多い。

 黙々と仕事をこなしながら、この不安を乗り越えていくしかないのだろう。研究者になるのも茨の道だが、研究者になったらなったで、さらに茨の道である。

日曜日, 9月 13, 2020

論文が出ました

  IUにいる時に始め、さきがけの研究期間中に発展させたエコーチェンバーの研究が、ようやく論文として出版された。いろいろあって、結果的に4年かかった。2つトップジャーナルを目指してダメで、Journal of Computational Social Scienceに出してからは、割と順調にアクセプトされた。

 その間、Filたちとメールだけでなく、適宜オンラインでも議論をした。共著論文の名に恥じない論文になったと思う。他の仕事と重なって、なかなか研究時間がとれなかったり、気持ちの切り替えがうまくいかず集中できなかった時期もあるが、チームプレーで書き上げた論文は長い旅路を無事終えた。

 9月は執筆の締め切りを山のように抱え、しんどい日々が続く。これが終われば、新しい授業の準備も始めなければならない。全部やり切って、笑って年末が迎えられるように頑張りたい。

Sasahara, K., Chen, W., Peng, H. et al. Social influence and unfollowing accelerate the emergence of echo chambers. J Comput Soc Sc (2020)

火曜日, 9月 01, 2020

東工大に着任

  コロナ禍になってから、ずっと時間に切れ目がなく、始まりも終わりもないような感覚がずっと続いていた。しかし、強制的に時間に切り取り線を入れる出来事が「今日」ということになるだろう。

 9/1付けで、 東京工業大学環境・社会理工学院の准教授として着任しました。前職の名古屋大学には約8年間、お世話になりました。研究室も少しづつ大きくなり、良い学生も研究室に来るようになった矢先での移籍なので、とても残念ですし、とても大変でもあります。

 MOTは通常の大学院とは異なるので、慣れるまでは大変そうです。しかし、新たな環境で自分を試すというのは、ずっと自分がやってきたこと。より厳しい環境に身を置いて、結果を残していく。そのタイミングが今だったということでしょう。

 安定にあぐらをかかず「変化し続ける」。これからも、そんな自分でありたいと思います。今後ともよろしくお願いします。





日曜日, 8月 09, 2020

TO GOキャンペーン

 このところ名古屋でも、新型コロナの感染者が150以上の日が続いている。そのほとんどは都心部なので、私が住んでいる地域周辺で市中感染が起きているわけではない。とはいえ、いつもと同じようなお盆の過ごし方ができるわけはない。

 GO TOキャンペーンで旅行を推奨している一方で(一部地域を除く)、「帰省は慎重に」という。一体、どういう合理的な説明がつくのか不明な状態だ。 

 いっそのこと、GO TOキャンペーンは延期して、 TO GOキャンペーン(飲食店のテイクアウトを支援する)を打ち出すぐらいのトンチがきかせられないものか。「老舗旅館の食事もテイクアウトできて、お値打ち価格でお家で食べられます。」ということなら、みんな文句も言うまい。

 実際、我が家でも、近所のイタリアンやトンカツ、中華屋のテイクアウトを利用している。割引があったり、サービスで一品つけてくれたりと、お得感があるし、お店を応援している感じがして満足感も高い。

 

 

金曜日, 7月 31, 2020

セカンドウェーブ

  何ということか。抑え込んだかに見えた新型コロナが、世界のあちこちで第2波となって襲いかかっている。日本(特に東京)は連日、感染者数が過去最高を更新し続けている。オーストラリア、シンガポール、フランス、スペイン、いづれの国も第2波の影響が出始まっている。
 ロックダウンしない選択をしたスェーデンの方が、かえって収束の兆しが出ているという [Link]。あれだけ世界の国々から批判されたが、新型コロナと長い付き合いを考えれば、実は間違った選択ではなかったということか(もちろん、その可否はもっと後にならないとわからないが)。
 経済がこれほどまでに悪化している中、前回の緊急事態宣言のような経済活動の自粛は不可能だ。三密を避けながら働く以外に選択肢はなかろう。ただ、リモートワークにも限界がある。大学の事務にもリモートワークが導入されたが、著しく効率が落ちていると感じる(事務の方を批判しているわけではない)。どこも全く余力がない状態で、この不測の事態に対応しなければならないのだ。
 自分の作業効率もここのところ芳しくない。春に二期は自分の講義がなかったにもかかわらず、ほとんど研究ができていない。なぜなんだ。ひたすら依頼をこなし、Zoomの会議をこなしていたような気がする。このままではまずい。
 新型コロナがこれだけ長いこと続き、誰もが心に傷を負っている。ゆく年くる年を見る頃までには、その傷は癒えるのだろうか。来年の今頃も、同じようなことをぼやいているのだろうか。

日曜日, 7月 19, 2020

IC2S2 2020

 計算社会科学の国際会議IC2S2 2020に参加している。もちろんオンライン開催(当初の予定ではMIT)。米国東部時間での開催なので、日本との時差は13時間ある。ちょうど昼と夜が逆転した感じ。
 最近はあまり夜更かしてなかったので、0時を過ぎると猛烈に眠くなる。コーヒーを飲んで、何とか凌いでいる。日本にいながらにして、海外出張をした時の「時差ぼけ」の感覚を味わっている。
 エンゲージメントの工夫があると、オンライン開催でも、盛り上がって楽しい学会になるのだと気づかされた。オーガナイザーの偉い先生でも、学会に参加して楽しんでいる。
 オープニングの中でペントランドは、 "education for doing"とか"real-world impact"という言葉を口にしていた。MITの研究者は、教育にしろ研究にしろ、「世界を変える」という意気込みがものすごい。もちろん、この言葉に恥じないような教育や研究をしている自負があるからの発言だし、その言葉に惹かれて、優秀な頭脳が世界中から集まってくるのだろう。
 昨晩、ソーシャルネットワークのセッションの座長の仕事を終えたので、あとは気楽に学会に参加できる。今回の学会から最大限の気づきを得たい。
 

火曜日, 7月 07, 2020

七夕

 早朝に目を覚ました。冷水シャワーを浴びて、モーニングコーヒーを飲む。「今日は七夕かあ。でも、外は相変わらず梅雨空だな。」などとつぶやき、小説の主人公のような1日の始まり。
 「夏になれば収束するだろう」とぼんやり思っていた新型コロナは、国内では再び感染者が増加傾向に転じ、世界に目を向けるとアメリカ、ブラジル、インドなど加速度的に増加している国もある。
 九州では豪雨で甚大な被害が出ていて、とても心配だ。「コロナ禍で大変な時に、どうか地震や台風など来ないでくれ」と祈るばかり。
 2020年は半分以上が過ぎた。ここまでのところ、良い思い出はほとんどない。後半はどうなるのだろうか。今年の漢字の有力候補「密」や「禍」を打ち負かす漢字が出てくるような、いい出来事が起こってほしい。

木曜日, 6月 18, 2020

完全オンライン

 活動が完全にオンラインになり、気づいたことがある。できる学生とそうでない学生の差がますます開いている。研究を自分の問題として受け止め、計画を立てて着実に進めることができる学生、意欲はあるものの漠然と研究している学生(やる気があるのは良い)、研究意欲が全くない学生。
 最後のタイプは、自分からは報告も議論のリクエストもない。ラボに来ていれば、ぶらりと院生室に立ち寄ったときに話もできるのだが、オンラインではそうもいかない。ローテーションでやってくるセミナー発表を見ると、力の差は歴然としている。
 もはや、「みんながラボに来て研究する」というスタイルは諦めた。「コロナが開けても、しばらくそれは無理」とかではなく、そもそも、そのようなスタイルが本当に良いのかどうかも疑問になってきた。
 期日までに成果を出せるなら、在宅だろうが、院生室だろうが、カフェだろうが、仕事をする場所はどこでも良い。好きな場所でやれば良い。その代わり、「院生には固定の席とPCを用意して」などということもやめる。席やPCは、空いているところを使いたい人が自由に使ってよいという流動式にする。それがいい気がする。
 

木曜日, 6月 11, 2020

講義だん

 今年度のQ1期は、「計算情報学12」の講義を担当した。学部の講義を一人で担当するのは、実はこれが初めてだ。ソーシャルダイナミクスをテーマとして、ネットワーク科学やデータ科学の基礎を教え、プログラミングの実習を行った。
 初めての講義なので、資料をゼロから作らなければならず大変だった。加えて、オンライン講義の対応をしなければならず、慣れるまでは大変だった。
 当初は、Zoomを使ったリアルタイムでの講義にしようと考えていたが、大学はオンデマンド方式を推奨したので、講義ビデオを公開することにした。学生の負担を減らすために、この状況ではこれでよかったのだと思う。
 今週でその講義を終えた。あとはレポート課題を採点して、成績をつけるだけだ。学生とのコミュニケーションがなく、何の手応えもないまま講義が終わってしまったという感じがして残念だ。
 いつまでこのような状態が続くのだろう。いつもどこかで楽しいイベントをやっていて、すごい人たちがたくさんいて、ワクワクする場所。それが僕にとっての大学だった。今はただ黙々と仕事をこなしている。

木曜日, 6月 04, 2020

学生のいないキャンパス

 非常事態宣言が明ければ、事態は改善するだろうと期待していたが、一進一退という感じ。日々、学生のほとんどいないキャンパスに通って、黙々と仕事をしてるから、変化に気付きづらいのかもしれないが。
 学部生は登校が禁止されているので、当然いない。院生もリモートワークが推奨されているので、あまりキャンパスでは見かけない。授業も全てオンラインで、課外活動も禁止されているので、そもそも学生が大学に来る理由がないのだ。
 うちの研究室では、「ラボで研究してもいいよ」とは言っているが、ほとんど院生は来ない。間接経費で机や椅子やソファーなどの備品を購入し、過ごしやすいオフィス環境を作ってきたが、徒労だったかと思うとやるせない。院生室で研究するスタイルを諦めて、完全にオンラインをメインに移行するのがベターなのかもしれない。ZoomやSlackの隙間をどう埋めるかがポイントだ。
 院生室でワイワイ議論したり、ランチパーティーをやったり。夏休みにみんなで合宿に行ったり。すべては、古き良き時代の大学院の慣習ということになるのだろうか。
 

日曜日, 5月 17, 2020

止まった時計の針を進めよう

 3月、4月、5月は、自分でも訳がわからぬまま時間が過ぎた。いや、過ぎてない。僕の中で時計の針は3月で止まったままなのだ。
 気持ちの切り替えもうまくできず、ただ心が壊れないように防御しながら、降ってきた仕事をひたすらこなしてきた。ただそれだけだ。たくさん執筆も査読もしたし、インタビューも受けた。しかし、 何一つ達成感はない。
 決して頑張らなかったわけではない。講義の準備もしながら、粛々と仕事をこなしてきた。締め切りを破らぬよう、約束を破らぬよう。
 昨日、第5回目の講義ビデオをアップしたときに気づいた。「全部で講義は8回なので、あと3回か...」確かに進んでいる。
 世界は変わった。僕も変わらなければならない。

水曜日, 5月 06, 2020

アンネの日記

 アンネ・フランクの日記を小さい頃に読んだ。ナチスから逃れてオランダのアムステルダムで、2年に渡って身を隠し続けた日常が、緊張感と少しのユーモアをもって綴られている。
 コロナ禍でソーシャル・ディスタンシングが強いられる現在、皆がアンネのような気持ちで家に篭っているのかもしれない。見えないウイルスという敵、不況、格差や偏見、溢れる情報と対峙しながら。
  今こそ、アンネの日記を読み返す時かもしれない。ここに書かれれているのは、不安に押し潰されそうになりながらも、日常の機微に幸せや喜びを見つけ、生きようとした少女の姿である。
 こんな時だからこそ、小さな幸せや喜びを見つけることが大事になる。必要なのは、だれか責め罵倒する言葉ではなく、春の木漏れ日のようなユーモアである。
 コロナ禍が明けたら、また、アムステルダムにある「アンネの家」に行ってみたい。 もう少しの辛抱である。

月曜日, 4月 27, 2020

コロナ禍

 コロナ禍と書いて「ころなか」と読む。こんな読み方は覚えなくてもよい。そんな世界が来るのはいつだろうか。
 愛知県が独自に緊急事態宣言を出したため、名大の教員も原則リモートワークになった。もちろん必要があれば登校してもよい。講義準備には研究室で文献を調べる必要があり、講義ビデオを撮るのは家では厳しい。どうしても大学に行く必要がある。
 そこで、先週は電車には乗らず、自転車で大学に行き、研究室と自宅の往復で人に接触しないように心がけた。これはこれでいい運動だ。
 幼稚園も5月末まで休園がアナウンスされた。こんな調子が続き、妻も朝から晩まで子ども二人の世話をしていたら、煮詰まってしまう。私まで自宅にいて仕事をしていたら、お互い精神衛生的によくない。やはり私は気をつけて大学で仕事をし、妻には自由時間を作って、そこで羽を伸ばしてもらう。我が家ではこれがベターなやり方だ。
 そういえば、ネットで評判になっていた「コロナ時代の僕ら」を読んでいる。科学的視点と文学が融合した素晴らしいエッセーだ。これで何かが解決するわけではないが、ぜひ読んでおきたい一冊だ。

土曜日, 4月 11, 2020

緊急事態宣言

 新型コロナウイルス感染症(COVID19)の拡大に歯止めがかからない。連日、「最多のxxx名」という表現で感染者数が報じられる。この伝え方は誤解を招くどころか、いたずらに人々を不安にさせる。その日の感染者数だけでは何もわからない。
 PCR検査を受けたのは何名か、そのうちの感染者は何名か、そして、感染源が特定できない孤発例は何名か。さらに、感染者数を時系列で見たときに、その増大率が倍々ゲームのように(指数関数的)なっているのか、それよりも緩やかなのか。そうしたことを冷静に検討しなければならない。科学的根拠が最も重要である。
 名大は早くに全ての授業をオンラインにするとした。昨日、愛知県は政府の緊急事態宣言からは外れたものの、県知事が自主的に宣言をした。それを受けて、名大では教員や職員もテレワークが一層求められるようになる。私の研究室は、セミナー等の全活動をオンラインに移行することを昨日決めた。
 そろそろ、私もテレワークの準備を始めないといけないだろう。 それで1ヶ月後に明るい未来が待っているなら、それでも構わない。
 
 

土曜日, 4月 04, 2020

新学期スタート

 こんな不安な気持ちで新学期を迎えたのは、東日本大震災以来だ。2011年3月は学振研究員の最終年で、定職が決まっていなかった(4月からは、任期制の研究員になることが決まっていたが)。
 そして、今年2020年はコロナ禍である。3月初旬には、「4月になれば落ち着くだろう」と思っていた。しかし、収束には向かわず、危険な状態が続いている(世界に目を向けると、信じられないような惨状である)。
 名古屋では介護施設やスポーツジムでクラスターが発生して、死者数が全国で一番多くなった。しかし、クラスターが全て特定できていたので、その後は小康状態が続いている。
 心配なのは東京である。4月に東京出張が予定されていたが、名大から「(公私共に)東京と大阪への出張の自粛要請」が出たため、会合はオンラインになった。
 今は粛々とオンライン講義の準備を進めている。数日前までは、対策を施した上で対面授業する選択肢も残されていたが、昨日、(演習や実験を除く)講義はオンラインにするという決定が下されたのだ。
 こんな状況でも仕事ができるのは、大学教員の恵まれている点。今、教育と研究をがんばらなければ。

土曜日, 3月 28, 2020

完済

 コロナ禍の渦中、できるだけ平常心を保ち、粛々と仕事をしている。それが研究者としてできる最善のことだ。
 昨年末に大型研究予算に挑戦して、書類選考に通って面接には呼ばれたものの、審査員のちんぷんかんぷんな質問にハマり、落とされてしまった(今考えても全然なっとくいかない質問だが、結果的に選ばれなくて良かったとも思う)。失敗は失敗だが、これもまたよい経験になった。チャンスはまた訪れる。
 この申請書を書くために、自分のリーソスをすべてさいて(もちろん「院生の指導以外の」という意味) 取り組んだ。そのため、本の執筆やもろもろの仕事を後回しにせざるを得ず、今年に入ってからは、ずっと締め切りに追われる羽目になった(締め切りを過ぎてしまって、本当にすみません。)
 そして、昨日、全ての重要案件をやり遂げた。 本の執筆2つ、依頼原稿1つ、査読2つ。あたらに引き受けた原稿や細々した仕事はあるが、とりあえず「完済」。ほっとしている。
 これから来年度の講義準備を急ぎ始める。こんな時だからこそ、粛々と。

木曜日, 3月 19, 2020

新型コロナとデマ

 新型コロナウイルスに関してWHOがパンデミックを宣言してから、あれよあれよという間にヨーロッパがその中心地となってしまった。第二次世界大戦以来の惨事と評する声もある。あながち大袈裟な表現ではあるまい。
 新型コロナウイルスをめぐっては、様々なデマも拡散している。WHOはそれをインフォデミックと表現して警告を発した。真の恐ろしさは、パンデミックとインフォデミックがカップルして、より事態が悪化することである。
 ここのところ、 新型コロナウイルスに関するデマの取材依頼や執筆依頼が頻繁にくる(執筆依頼については、今はそれでころではないので基本的に断っているが、1つだけ根負けして引き受けた)。こんな取材依頼などこない世の中の方が平和で良いのだが...。
 フェイクニュースを研究している以上、このテーマでしっかりとした結果を出さなければならない。

日曜日, 3月 08, 2020

コロナウイルス

 当初は楽観視をしていた新型コロナウイルスだが、まさかここまで深刻な事態なるとは。自分が関わっていた研究会は、軒並みキャンセル。計算社会科学ワークショップは実施にこぎつけたが、聴衆なしのオンライン配信のみ(それでも、海外から著名な先生方を招聘していたので、無事終わって何より。)
 名大は、早くも今年度の卒業式と来年度の入学式の中止を決めた。うちの研究室にも、この3月に卒業する学生と、4月に入学する学生がいるので、気の毒だ。来年来る学生には、中国からの留学生もいるので、政府の決定次第では日本に来ることすら叶わないかもしれない。
 生命ですらない、こんな小さなウイルスに人類が翻弄されている。一刻も早く事態が収束することを祈るのみだ。
 

土曜日, 2月 15, 2020

入試実施担当者だん

 今年度は入試実施担当者を任されており、かなりの時間をこの業務に費やすこととなった。トラブルなく試験を実施することが、どれだけ多くの方の労力のお陰で成り立っているのかを痛感させされた。
 8月院試、そして2月院試が昨日終わり、これで自分の役割は果たしたことになる。願書の仕分け、面接のスケージュール調整、採点の集計、会議とその他細々とした仕事。海外の大学では考えられないような仕事まで、名大に限らず、国立大学の先生はやらなければならない。
 修士論文のチェック、学会の申し込みラッシュ、締め切りが迫る原稿執筆と、コントロール不能なスケジュールの中、最も大事な院試業務を何事ともなく終えられて、本当にほっとしている。
 さて、執筆に戻らなければ。

土曜日, 2月 01, 2020

待ったなし

 本の締め切りを2つ抱え、いよいよ待ったなしである。1月後半は、会議や学会、修士論文のチェックやその他の雑用で、まったく時間が取れなかった。
 執筆の最大の敵は「中断」だ。いいリズムで書き始めていたのが、中断を余儀なくされ、一旦執筆から離れてしまうと、もとの状態にもどるのが難しい。私がAIならば、 「気分のムラ」もなく、合理的に振る舞えるのだろうけど。
 いや、それは言い訳だ。 さきがけのアドバイザーの先生は、「できる人は、忙しくても時間を確保し、着実に研究を進めている」と言っていた。
 仕事を妨げるボトルネックを探し、それを克服することから始めないといけない。
 

水曜日, 1月 22, 2020

遍く挫折に光あれ

 12月、この冬休みと、熱意とかなりの時間を割いて取り組んだことが、2つとも失敗に終わってしまったようだ。本の執筆など、いろんな締め切りを後回しにして、頑張ってきたので、かなり凹む。
 どうやら神様は、「楽するな、おまえはもっと苦労しろ。」と言っているようだ。 「十分苦労してきましたよ。」
 投げ出して、不貞寝したくなる 。でも、それでは、何も、1mmも、解決しない。

 ロングホープ・フィリアにこういう歌詞がある。
遍く挫折に光あれ 成功、失敗に意味はないぜ
最終話で笑った奴へ トロフィーとしてのハッピーエンド
「確かに僕は失敗した。だからなんだ。それで死ぬわけじゃない。何度だってやり直せる。この失敗は、そのための糧だ。挫折じゃない、経験だ。」
 

日曜日, 1月 12, 2020

苺と鯛

 子どもたちを連れて、お隣の豊田市にある「うめこう桃梨苺園」にいちご狩りに行ってきた。車で40分ほど。連休ということもあり、家族連れが大勢来ていた。
 大人は2000円、2歳~小学生の子供は1500円。「よーし、元を取るぞ 」と意気込んで食べまくったが、30個ぐらいが限界。意外と食べられないものです。うちの子は20個ぐらい食べた。
 そのあと、豊田市の「かど家」というラーメン屋に行った。このラーメン屋は大正解。鯛だしのあっさりしたラーメンで、醤油も塩もとてもおいしかった。子供たちも、ラーメンのスープをかけたごはんをペロリと平らげた。
 黒チャーハンがおいしそうだったが、今回は食べられなかったので、また今度。

かど家の鯛ネギラーメン

土曜日, 1月 04, 2020

あけおめ2020

 明けましておめでとうございます。怒涛の12月を何とか乗り切り、2020年になりました。いろいろと節目の年になりそうです。
 昨年は出版の影響もあり、かなりの数の講演をしました。それだけ、「フェイクニュース」が社会問題として注目されているということだと思います。なかなか自分らしい切り口で研究が進められず苦戦中ですが、重要な研究テーマなので踏ん張りどころです。
 本当にやりたいことをやる一年にしたいです。為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり。