2022年のクリスマスも過ぎようとしている。子供たちがサンタクロースがくるかどうか、そわそわ。翌朝、プレゼントを見つけて、大喜び。毎年のお決まりのイベントだが、子どもたちがいればこそである。
横綱級の仕事が次々ときて、夢中で片付けているうちに(まだ処理しきれていないが)、後っという間に12月25日。おもちゃをもらって嬉しそうにしている顔がみられるのは、何よりも自分にとってのご褒美になる。
冬イベントが終わった。さて、年を越す前に、何としても執筆を終わらせる。正月も働くなんてまっぴらだ。
2022年のクリスマスも過ぎようとしている。子供たちがサンタクロースがくるかどうか、そわそわ。翌朝、プレゼントを見つけて、大喜び。毎年のお決まりのイベントだが、子どもたちがいればこそである。
横綱級の仕事が次々ときて、夢中で片付けているうちに(まだ処理しきれていないが)、後っという間に12月25日。おもちゃをもらって嬉しそうにしている顔がみられるのは、何よりも自分にとってのご褒美になる。
冬イベントが終わった。さて、年を越す前に、何としても執筆を終わらせる。正月も働くなんてまっぴらだ。
気がつくと2022年も半月を切った。自分が引き受けたとはいえ、相も変わらず執筆に追われている。最近は断るべき仕事は断っているのだが、重要な仕事は絶えずやってきて、気が付くと執筆作業から遠ざかる原因に。心を鬼にして断らないといけない。
12月分の授業は今日で山場を越えたので、何とか執筆に集中して、残り2つを満足いくクオリティで完成させたい。そして、心置きなく2022年を終えたい。2023年が良き年になるように。
現在執筆している新書(テーマは「ディープフェイク」)の作ったAI生成画像の試作の1つ載せる。DALL·E 2を使って「ピカソ風最後の晩餐」というプロンプトで作成した。AIはこれを数十秒で作る。この現実をどう受け止めるか。
PLOS ONEのとHumanities and Social Sciences Communications の編集員(エディタ)をやっている。どちらもジャーナルも論文を掲載したことがあるので、学術への貢献と思って、論文のハンドリングをしている。提出された論文を読んで査読してくれる人を探すのは、とても手間で時間のかかる仕事だ。
特に最近、PLOS ONEがはひどい。毎日のようにエディタ業務のリクエストが来る。最初のうちは、全部ではないにしろ、がんばって引き受けていたが、最近ではほとんど断っている。というか、忙しすぎて、断ざるをえない(それでも常時、1~2本はハンドリングしている状態)。エディタ業務が、かなり自分の時間を奪っている。
どちらのジャーナルもオープンアクセス系なので、著者が出版費用を払い、出版社はそれで儲けている。しかし、エディタ業務は責任重大で、時間も手間もかかるのに、やったところで1円も支払われないし、業績にも評価にもつながらない。
自分が論文を出すときは、誰かにお世話になっているのだから、お互い様だとボランティアでやっている。みんなそうだろう。しかし、これは悪く言えば「やる気の搾取」ではないか。
論文を書く人は山ほどいる。しかし、論文を読んでくれる人はほとんどいない。エディタも査読もただ働き。出版社は著者からの出版費用で利益を得ている。何かおかしいし、腑に落ちない。
決して、エディタや査読の仕事にお金を払え、と言っているわけではない。しかし、今の査読のシステムは明らかに持続可能でない。やる気の搾取の上に成り立っていると言わざるを得ない。
人工知能学会誌などの国内の雑誌では、査読を期限までに終わらせると図書カードがもらえる、などの特典があったりする。あるいは、自分のその雑誌で出版する際に割引を受けられる、というケースもある。それはなかなかよいアイデアだと思う。
ビリヤニとは、簡単に言えば、米と肉、そしてスパイスを入れたインド風炊き込みご飯、ということになるだろうか。ポスドクのDilが、ビリヤニを作ってランチにふるまってくれた。
ジンジャー、コショウ、ニンニク、ナツメグ、クミン、サフランなど、色々な香辛料がきいたごはんに、ラム肉、ナッツが入っていて、上からヨーグルトにオニオンを刻んだソースをかけていただいた。ごはんはピリ辛だが、ソースがいい具合にそれを中和して、なんとも癖になるおいしさ。パラパラしたタイ米がよく合う
現在ビリヤニが流行っているそうだが、よくわかる。これは癖になるうまさだ。しばらくはまりそう。
授業の講義回が終わったので、これで少し執筆に専念する時間が増える...といいなぁ。
オンラインで授業をしているので、その間は自宅の書斎のドアを閉めている。ただ、中から鍵をかけることはできない。授業が終わった気配を察知してか、娘がドアをノックしてきた。これまでそんなことをしたことはない。どこで覚えたのか。
退屈そうにしているので、近所の緑道にどんぐりを拾いに行った。「虫さんが食べてないきれいなどんぐりを拾うんだよ。」「うん。」袋にどんぐりをつめて、近くの小学校を経由して、コンビニに昼ごはんを買いに行った。
子どもはすぐに大きくなる。いつまで一緒にどんぐりをひろえるのか。貴重な土曜の昼の時間。
論文の直し、本の執筆、本の翻訳の作業をほぼ毎日同時並行で進めている。加えて、授業の準備である...。名大で講師をしていた頃は、もう少し時間があったなぁ、などと遠い目になる。
論文は何としてもアクセプトをもぎ取りたいし、本の執筆も翻訳もやりたいから引き受けたのだが、全部重なるとは思わず、誤算だった。しかし、これらを成仏させないと、次に控えている仕事ができない。また別の執筆が2つある。本の一章と学会誌の記事なので、今やっていることに比べれば、そこまで大変ではないが。
さらにその後に控えている仕事2つうちの1つが重い。財務省のセミナーは、これまでの講演内容をブラッシュアップすれば良いので、そこまでではないが、先日、内閣官房からある依頼が舞い込んだ。これは結構なリソースを裂かなければいけない。
年々、依頼内容が高度化して、それらをこなすだけで自分の時間が過ぎていく。しばらくは執筆の仕事は流石にお断りする。最後の依頼を片付けたら、自分の手を動かして研究できる日は来るのだろうか。
印税という名のボーナスが入ったので、家族でハンバーグを食べに行った。我が家では美味しいハンバーグと言ったら「フライングガーデン」である。ビックリ○ンキーも悪くはないが、やはり「肉肉しい」ハンバーグが食べたければここ。とにかく肉がジューシーでうまい。
体に悪いことは分かるが、たまにはガッツリとお肉やコッテリとしたものが食べたい。爆弾バーグのキングサイズにガーリックライス。こうゆう食欲が年とともに衰えてきているので、まだ「食べたい!」とか「食べられる!」というのは若さの証拠、生きている証拠なので、ヨシ。
妻はクイーンサイズ、子供たちはお子様メニューを堪能し、店内の肉の煙を吸って、全身でハンバーグを満喫した。その後で、温泉に行って、さっぱりするのがルーチン。「美味しいね」「暖かいね」を家族で共有する。そんな休日がたまにあってもバチは当たるまい。
コロナになり、リモートワークが普及した。それはもちろん良いことだと思う。オンラインですむ会議のために、わざわざ満員電車に揺られるのは馬鹿げているし、土砂降りの中、バスと電車を乗り継いで通勤するのもおかしな話。リモートにしてしまえば、もっと有効に時間が使える。
しかし、ずっとリモートでいいかと言われれば、それもまた違う。物理的に近くにいれば、ちょっとした雑談や相談はすぐできる。それがすぐに何かの役に立たなくても、コミュニケーションすることが大事。そして、クリエティブになる上で程よいノイズが大事。
コロナ禍初期に研究活動をオンラインに切り替えたときには(名大時代)、大きな懸念があった。過去のブログに、諦めと期待とが入り混じった気持ちを書いている。しかし、この時の学生たちの多くは、対面で築いた関係性があった上でオンラインに突入したので、まだ何とかなった。ただ、自分でペースを決めてやれる人と、そうでない人の差は歴然としていた。
現在は勉強会を対面でやることで、少なくとも週一回はフルタイム学生が大学に来ることを促している。その効果が出るとすればまだ先のことだが、どうなることやら。個々が学び「I」の実力を高めるのが重要なのは言うまでもないが、ここは研究室なので「We」の意識で、みんなで協力し、高め合うのが大事。
スマートニュースでもシリコンバレーでも、正直なところ「みんな(職場に)戻って来いよ」と上司は思っているそうだ。すでにやることが決まったプロジェクトならば、オンラインでも仕事は進むだろうが、これから新しいことを始めようとする場合は、そうはいかないケースが多々ある。
自分の働き方にしても、学生の研究指導にしても、何とか対面とリモートの良いとこどりをしたいところだが、未だに決定打がないのが現状だ。
9月13日、名大・笹原研の学生室(情報学棟626室)をクローズし、鍵を返却した。これで名大での重責は全うしたことになる。
私が異動してから学生たちが困らぬようにと、4台のサーバー、フルフルでカスタマイズしたiMacも置いていった。さきがけや科研費の予算で、アシスタントの方に大変な手続きをお願いして購入したものだ。おかげで一度も壊れることなく、学生たちの研究を支えた。
プリンターのトナーと用紙も予備をたくさん購入して、備蓄しておいた。実はこれが厄介で、基本的にこれらのものは直接経費では購入できない。名大では間接経費をもらえていたので、それを使って購入した。結局使い切ることなく、同僚の先生にもらっていただいた。しかし、もし不足していたら支障が出ていただろう。これでよかったのだ。
サーバーを東工大に移す手配をし、学生が残していった壊れた冷蔵庫はお金を払って業者に引き取ってもらった。ゴミや学生が残した本などを片付け、最後にざっと清掃をして、626室に鍵をかけた。
学生たちとセミナーをし、熱く議論した626の部屋とも、これでお別れだ。無事学生たちが巣立っていったという安堵感と一抹の寂しさを感じながら、名大を後にした。
名大から東工大に異動する際に残っていた学生のうち最後の2名が、この9月に学位を取得して、卒業できる見込みとなった。学生たちに「おめでとう、よくがんばった」と言ってあげたい。
1名は博士号を取得し、中国のAIの研究所でポスドクとして働くことが決まっている。もう1名は修士号を取得し、名大院の博士後期課程への進学が決まっている。残りの3名は既に卒業し、みんな就職している。全員無事に卒業させることができ、安堵した。
コロナや異動という条件がなければ、教員の当然の仕事の1つということになるだろう。しかし、名大の教員ではない状態で、かつ、コロナ禍で名大に通えないとか、学生同士の交流がないという状態で、これを達成することは想像を絶する苦労があった。
異動するときに決意したのは「1名もドロップアウトさせず、必ず全員卒業させ、彼らが望む次のキャリアに接続する」ということ。そのためにできる限りの努力をしてきたつもりだ。それができたことは誇りに思うし、それができたのも、「彼らはきっとやってくれる」と信じられる学生たちだったから。そういう名大生たちと研究ができたことは幸せなことだ。
名大最後の指導学生は学位授与式の総代(複雑系科学専攻)を務め、東工大最初の指導学生も学位授与式の総代(MOT)を務める。1年で2名の総代が自分の研究室から選ばれた。誇らしい。おめでとう。
気がつくと夏休み。といっても、授業がひと段落したぐらいで、大学の先生の仕事は一向に減る気配がない。院試業務も含めて、事務仕事の多さは名大の時の比ではない。大量のメールとSlackのメッセージに溺れそうだ。
そして、本の執筆も含めて、山のような執筆。科研費の締切が前倒しされたことにより、科研費の書類の作業も8月中に。毎年、夏は作文で終わるのか...orz
元々文章を読んだり書いたりするのは好きだったが、依頼原稿や申請書の類は大の苦手。今は文字ではなくて、コードを書きたい。数年以上、コードをまともに書いていないのではないか。
夏休みだなと感じる時間を過ごせていない。セミを追っかけ、カブトムシを追っかけしていた少年の夏は何処へ。
久々の海外出張でシカゴに行ってきた。もちろん、IC2S2 2022に参加するため。会場はシカゴ大。
私の研究室とCRESTグループから以下の5件の発表があった。残念ながら、博士学生は中国にいるため渡米できず、Dilは直前にコロナになってしまったため出張を中止して、オンライン参加に切り替えた。
来週、IC2S2に参加するために久しぶりに渡米するが、あまりにもリスクが大きくて心配が尽きない。スリランカにいるポスドクはコロナになってしまい、苦労して航空券などを手配したが、全てキャンセルしなくてはならなくなった。
日本もコロナの感染者が再び急増し、都心に通う以上、自分もコロナになる可能性が決して低くはない。小学校でも学級閉鎖がここ数日増えている。子供がコロナになれば、必然的に親もコロナになってしまう。
一番恐れているのは、米国から帰国する前のPCR検査で陽性反応が出て、帰りの飛行機に乗れないことだ。治るまで米国の滞在するとなると、どれだけの追加費用がかかることか。そして何よりも、院試を控えているので、休めば職場に多大なる迷惑がかかる。
久々の国際会議だというのに、心から楽しめず、恐る恐る行動をしなければならないのは、本当に残念だ。いつになったらコロナが終わるのだ。名大の院生たちに自宅待機を告げたあの時からコロナが居座り、ずっと時間が止まったままの感覚がある。
6月の怒涛の重要イベントラッシュを終え、少し仕事は落ち着くかと思っていたが、自分の時間が取れない。できるだけ新しい講演や執筆の依頼は断るようにしているが、それでも引き受けなければならないものがある。
論文のエディタや査読業務は時間がとられるが、知人からのお願いだと無碍に断れない。自分の論文は他の研究者が見てくれているわけなので、査読を引き受けるのは義務と言えば義務。ただし、キャパシティーオーバー中。
今日は、2コマ連続で授業をしたので疲れた(デジタルマーケティングとオムニバス形式のもの)。当然、授業の準備もあるので、それにも時間を費やしている。
そして、「あー、本の執筆」「論文チェック」...山のような仕事は減らない。なんとか終わらせて、自分のやりたいことに使える時間を捻出したい。
日仏先端科学シンポジウム(JFFoS 2022)に参加している。6/24~27の合宿形式。2年前にやるはずだったものが、コロナの影響で2回延期になり、今回、京都で(オンラインではなく)現地開催となった。JFFoSが何なのかもよくわからず、知人からの依頼だったの引き受けた、というのが正直なところ。
しかし、ふたを開けてみると、日本とフランスの若手の有望研究者が一堂に会し、分野を超えて議論する、実に刺激的で楽しいシンポジウムだ。(今、ホテル近くのコインランドリーで、洗濯が終わるまでの時間にこれを書いている)
私は「Numerical Identity」というテーマのセッションで発表をした。ただ自分の発表するだけでなく、オーガナイザーが趣旨を説明し、第1発表者が全体を概説、第2、第3(私)がそれぞれこのテーマにそった自分の研究を紹介する。そして、最後に55分間、すべての参加者から質問を受け、議論をする。なかなかにハード。久しぶりに緊張感をもって発表準備をした。
我々は初日2つ目のセッションだったので、大変といえば大変だったが、早めに終わった方が、他のセッションを楽しめるので良かった。明日からは質問する側に回り、いろいろ学ぶぞ。
ブルーミントンにいたときに、IPAにはまったのだと思う。クローガーなどのスーパーに行くと、いろんなビールが売っていて、よくSamuel Adamsは好きで買っていた。濃い色と濃い味のほどよい苦さ。今でもアメリカに行くとオーダーするお気に入り。
それ以外に試したのがSierra NevadaなどののIPAだった。香りとフルーティーさ、ガツンと来る苦さ。すっかり虜になってしまった。国際会議でアメリカに行くと、必ずレストランでステーキとIPAを頼む。(今年は久々にアメリカに行けそうなので、いまから楽しみ。)
日本に帰国してからは、この味が味わえず残念だったが、インドの青鬼はけっこういける。そして、近年IPAブームようで、国産のIPAの選択肢が増えてきた。今日、イオンリカーでたまたま見つけたHystetic IPAは名古屋の醸造所で作られているもののようで、インドの青鬼よりもフルーティーでさわやか。一番好きかもしれない。
年なので飲みすぎは禁物だが、いい仕事をした日の晩酌ぐらい、お気に入りのビールでリラックスしたい。
授業がなかったため、久しぶりに土曜日らしい土曜日を過ごした。あまり子どもたちと出かけけることができなかったので、家族で西武園ゆうえんちに行ってきた。
2021年にリニューアルオープンし、園内には昭和の街並みを再現されていた。若者も昭和のファッションで来ている人もいて、懐かしい感じがした。昭和生まれとはいえ、青春時代は平成なので、そんなに昭和をしっているわけではないが。きっと、テレビや「Always 三丁目の夕日」などの映画、あるいは親から聞いたことを、自分の記憶として感じているのだろう。
せっかく来たので、混んではいたが昭和の街並みに再現された肉屋のコロッケをほおばり、食堂の行列に並んで、懐かしのチャーシュー麺とソースかつ飯を家族でシェアして食べた。結構なお値段がするが、味はおいしい。
乗り物などのアトラクションは縮小されていたので、子どもたちには物足りないかもしれない。ターゲットは若者のカップルやグループ、ご年配の夫婦か。年に何度も行く感じではないが、子どもたちも喜んでいたし、また行ってみたい。
怒涛の1Qが終わろうとしている。とにかくカレンダーには予定が目一杯詰まっていて、1日に3つ、4つ会議をはしごすることもザラだった。極力新しい仕事は引き受けないようにしているにも関わらず(でも知人や友人の誘いは断れない。お互い様なので)。
9月までに博士論文が1件、修士論文が1件、プロジェクトレポートが1件ある。学生も大変だが、先生も大変。ただ、いづれの研究も成果は出ているので、学生のがんばりを信じるのみ。一方で自分はというと、本の執筆、落とされた論文の修正と再投稿、依頼されたチュートリアル、学会発表とJFFoSの濃密な会議と、気が抜けないことがたくさん。
今日はなんとなく区切りのような気がする。少し疲れたので、休んで好きなことしても、バチは当たらないのではないか。
巨人戦のチケットを頂いたので(しかもバックネット裏のいい席)、倅少年を連れて観戦してきた。後楽園駅で降車するのは、大学に通っていた時以来なので久しぶり。息子は相当楽しみだったらしく、小学校の先生にも「野球見に行くんだ」と言っていたらしい。
東京ドームにはジャイアンツとスワローズのファンがたくさん訪れ、まだ満席ではないものの、かつての賑わいが戻ってきているのが実感できた。実は、東京ドームで野球を観戦するのは初めて(エアロスミスのライブを見に行ったことはあるが)。
本田真凜ちゃんの始球式で始まり、ド派手な映像や効果音もふんだんに使われて、野球のエンターテイメント性を高める工夫がされていた。一流のプロの一挙手一投足にドーム内は湧いて、息子も興奮して観戦していた。
5回が終わった段階で球場を後にし、母校の中大を再訪してから帰路に着いた。息子は楽しかったようで、「また野球行きたい」と言っていた。チケットは激戦だし高額なので、そんなに頻繁に行けるものではないが....。たまには野球観戦もいいな。
子供たちが騒いだりしていても、Airpods Proはノイズキャンセリング(ノイキャン)が強力なので、自宅でオンラインの授業や会議をするときに重宝していた。しかし、急にMacで使えなくなってしまった。
正確に言うと、相手の音声は聞こえるのだが、私の話し声が籠った音になってしまい使い物にならない。しかし、Windowsのノートパソコンで使うと問題がないので、イヤホン自体が壊れているわけではないようだ。そこで、別のノイキャンを購入することにした。
まず試したのは、Jabra Elite 85t。サイズも使い勝手もほぼ同じで、マイク性能もまずまず。ただ、耳から外れやすいかなというのと、Airpods Proよりはノイキャンが弱い気がして、最初は「う~ん」という印象だった。
今年の春は過去2年間とは決定的に違うことがある。学生たちがキャンパスに戻ったことである。先日訪れた名大の東山キャンパスには、新入生たちがたくさんいて、これからのキャンパスライフに胸膨らませていた。これが自分が見たかった大学の姿だ。
2020年4月11日の記事を見直してみると、「私の研究室は、セミナー等の全活動をオンラインに移行することを昨日決めた。」と書いてある。当時名大の私の研究室には5名の院生がいたが、この日から東工大に異動するまで、博士学生1名を除いてはほとんどラボには来なかった。従って、ほとんど対面で指導することもできなかった(修士学生1名は、コロナで来日すらできなかった)。これは辛い経験だった。オンラインだけで学生と関係を築き、指導することは本当に難しい。
この4月、東工大の私の研究室には博士学生が2名、まだ仮配属だけれど修士学生5名が加わった。すでに何人かの学生とは対面で会って議論をした。これからの成長が楽しみだ。あいも変わらず忙しいが、研究も教育も雑用も頑張ってやるしかない。
「古き良き大学」なんてものはとっくに存在せず、研究の機会もお金も、自分でもぎ取り続けないとならない。「研究がしたくて研究者になったのに...」なんていうのは、もはや冗談にしかならない。やるしかない。Just do it!
今日は有休をとって、上の子を小学校におくり、下の子の入園式に参加。ちょっと前にハイハイをしていた(少なくとも、自分の中ではそういう感覚の)上の子が、今日から小学校に通い始めた。新しい環境で大丈夫だろうかと、親としては心配だ。しかし、先生の顔を見た瞬間に笑顔になって、不安が払拭された様子だった。楽しく学校に通ってほしい。それだけが願い。下の子は、今日が入園式。下の子は満3から通っているので、大丈夫だろう。
大学も、先週末から授業が始まった。1Qは「情報・サービスと経済・社会システムI」と名大の「計算情報学12」、2Qは「デジタルマーケティング」。基本的には昨年度の内容とやり方を踏襲するので、準備の大変さは昨年ほどではないが、それでもアップデートはするので準備は必要。ゲスト講師を呼ぶとなると、その手続きも全部こちらでやらなくてはいけない。
有休をとったとはいえ、今日が締切の論文があるので、午後は結局仕事。抱えている原稿も...。しかし、先延ばしにしていると、苦労する時間が増えるだけなので、歯を食いしばって仕事する。
気が付けばもう3月も終わり。コロナに戦争と、暗い気持ちにさせる事柄ばかりが続くが、間もなく新学期が始まる。
花粉症の薬のせいなのだろうか。抗ヒスタミン薬が脳内で働くことで「鈍脳」になるという。頭の切れも、体調もいまいちだし、眠りの質もいまいち。でも、ギアを上げて新学期に備えなければならない。
この4月から、研究室の人数が一気に増える予定。コロナになって、研究室のマネジメントをすることがいかに重要で、そして大変かを学んだ。「背中を見て育つ」とか「先輩から盗む」とかいう旧式やり方は通用しない。ラボの運営にも科学的なマネジメントが必要。
4月が近づくと、新しいことに挑戦してみようという気持ちが、つくしのように芽生えてくる。論文や本の執筆に追われてはいるが、うまく時間をマネジメントして、新しいことに挑戦したい。つくしが生えなくなったら、研究者も終わりだ。
新学術の領域会議で発表をした。この新学術は「言語進化」をテーマとしたもので、僕が修士課程までやっていた物理学をやめて、博士課程から取り組んだのがこのテーマだ。ポスドクになってからも、データ分析が中心になったが、このテーマに取り組み続けた。
あの時に読んだ本や論文が、今の自分の研究の幅につながっている。ティンバーゲンの4つの質問、動物行動学、オートマトン、鳥のさえずり、発達と進化、音声分析、ネットワーク。いろいろなことを学んだ。
そして、好きなことを続けていると、何とかなるものだ。今振り返ると、なんと無謀な🥶という感じがするが、自分が面白いと思うものに我武者羅にやっただけだ。大学教員になる将来しか頭の中にはなかった。
領域会議での若手研究者の発表を聞くと、みんな素晴らしい研究で、パブリケーションもしっかりとしている。これからの科学を牽引していく優秀な人たちだ。分野を超えたコラボレーションから、新しい知が生まれつつある。
こうした知を創生するためのお金と時間を大学から奪わないでほしい。
2/6(土)にデジタルマーケティングの講義を終えた。レポートの採点が終われば、2021年度の授業は終わり。社会人学生が相手なので、夜ゼミはこれまで通り継続する。
昼のゼミ(中国人留学生3名(名大2名、東工大1名))は、先月末で一旦終了。議論の希望があれば、時間をとって個別にやる。
夜ゼミに参加していた名大M2の学生は、一気に研究をまとめ上げた。今週の修士論文発表会を終えれば、無事卒業となる。コロナ禍かつ遠隔での研究指導は苦労の連続だったが、最終的には目覚ましい成果を上げたので、本当に良かった。
今年の4月には一気に研究室メンバーも増える予定。そして9月には、名大生が2名(残り全員)、東工大生が1名卒業する予定で、翌年3月にはさらに2名の東工大生が卒業予定。
目の前に降ってくる仕事をがむしゃらにこなし続けた2年間だった。4月がはじまるまでは1研究者に戻り、できるだけ余計な仕事はセーブして、自分がやりたいことができるようにしたい。誰かのためではなく、自分のために時間を使いたい。
NHKの公開イベント「8Kがいざなう実世界展」に協力した。会津大の橋本さん、東大の宮崎さんの協力を得て、コロナが始まってからずっと収集しているツイートを分析した。
もう少しちゃんと説明すると、コロナの話題でかつワクチンに関するツイートを対象として、ワクチンに関する態度が異なるグループ間をどのように感情が伝わるのかを、ネットワーク上を感情語が飛び交うダイナミクスとして、NHKが8Kの技術で表現した。デザインを担当してくれたのは、慶応の山辺先生。
1/30, 31はプロジェクトレポート発表会があって見に行けなかったので、できれば来週見学に行きたい。どんな体験ができるか楽しみ。
かつて「花金」という言葉があった。「土日は休みなので、飲み明かすぞ~」ということだろう。バブルの響きがする言葉だ。
大学生の頃はそうだったかもしれない。サークル活動後に、先輩や後輩たちと終電近くまで飲んだり、カラオケで朝までコースをし、翌日は二日酔いで寝て過ごす、なんてことも多々あった。なんて贅沢な時間の使い方なんだ。今の大学生はこんなアホなことはしないだろうし、コロナでそもそもそんなことは無理だ。
今は土曜に仕事(授業)があるので、金曜の夜は講義の準備に追われ、とても週末を楽しむどころの話ではない。講義資料があったとしても、授業前はある種の緊張感がある。(授業はオンラインなので、終われば通常の土曜に戻れるのは救いだが)
取材や講演、査読や様々な依頼、これらは授業や研究とは別に、エクストラな時間としてやらなければならないが、もうパンク寸前。今年は研究と執筆の時間を捻出するために、極力断ろうと思っているが、総務省やJST、県知事からの依頼と言われれば、断るわけにもいかない。そして、こちらの都合などお構いなしでやってくる、会議、会議、会議。
何のために研究者になったのか。自分がやりたいと思う研究がしたい。そういうことだ。
全く正月の感じがしない2022年の年始だった。コロナのせいで、おっかなびっくりに祝っている、そんな感じだ。
そして正月って、もっとゆったりとした感じではなかったっけ?こたつに入りながら箱根駅伝見て、みかんを食べ、母校の応援をする。昔はスマホなんてなかった。目の前の現実を見ずに、スマホを見てるなんて馬鹿げている。
アメリカでは、正月の余韻なく1/3からいきなり仕事が始まるのだが(LAでもブルーミントンでもそうだった)、日本だと1/4過ぎたぐらいから徐々に仕事モードになっていく。何かその気だるさがよかった。
決して頑張っていないわけではないのだが、しっくりこない。「何か違う」を抱えたまま1年が過ぎてしまった感じがする。いや、コロナになって、学生のいない名大のラボに自転車で通っていた頃から、時計が止まったままなのかもしれない。ずっと穴ぐらの中にいる、そんな感じ。
来年の正月こそは、「らしい」正月にしたい。