講演の仕事をこなし、2021年の仕事納めをした。ただ、あまりその実感はない。締切のある学生の論文が2本あるので、冬休み中に仕上げないといけない。
やってきた仕事を片っ端からこなした一年だった。新聞の取材依頼は一つも断らなかったし、講演依頼も都合がつく限り引き受けた。「今回だけ」を繰り返していたら、あっという間にカレンダーがZoomの打ち合わせで埋まった。
足がつかないプールをなんとか泳ぎ切った、そんな感覚。まずは自分にお疲れ様。
講演の仕事をこなし、2021年の仕事納めをした。ただ、あまりその実感はない。締切のある学生の論文が2本あるので、冬休み中に仕上げないといけない。
やってきた仕事を片っ端からこなした一年だった。新聞の取材依頼は一つも断らなかったし、講演依頼も都合がつく限り引き受けた。「今回だけ」を繰り返していたら、あっという間にカレンダーがZoomの打ち合わせで埋まった。
足がつかないプールをなんとか泳ぎ切った、そんな感覚。まずは自分にお疲れ様。
先日、私がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の評価委員を務める、愛知県立旭丘高校の生徒たちが東工大を訪問した。旭丘高校とは名大にいた頃からのお付き合いで、私の師匠の池上さんの母校でもある。
本来ならば、ケンブリッジ大学に訪問して研究をする予定だったが、コロナの影響で今年は東京研究となった。複数いる評価委員のうち、私が東京にいるため、今回の東京研修のアレンジメントのお手伝いをした。
23日には東工大の大岡山キャンパスを訪れ、24日午後に私の職場のCICを訪れた。辻本先生IdPとマイクログリッド技術の社会実装プロジェクトについて、三木先生(慶応大)は人工腎臓の開発と事業化について、私は計算社会科学と社会イノベーションについて発表した。
生徒たちが真剣に講義に耳を傾け、メモを取り、鋭い質問をしている様子をみて、日本の将来は明るいと感じた。この何十年かの停滞をぶち壊して、新しい日本を作っていくのは、まちがいなく彼ら彼女らだ。
私は高校時代、何も頑張ることができなかった。高校時代をやり直したいわけではないが、山のような後悔がある。だからこの若者たちには、興味をもったことはとことん追求して、後悔のない高校時代を過ごしてほしい。
名古屋商工会議所での講演のため、早起きをして家を出た。電車が池袋に到着し、ホームに降りて、階段に向かおうとした。両扉が空いている電車を横切って、空いている別の階段へ向かおうとした時、電車のドアが閉まってぶつかり、手に持っていた(クレジット機能一体型の)定期が宙を舞った。
慌てて定期が落ちたあたりを探したが、見つからなかった。駅員さんの話では、終電後でないと、ホーム下に降りて探すことはできないとのことだった。定期以外にもEXカードが入っていたが諦めた(ネットで予約をキャンセルした)。改札で連絡先を伝えて、名古屋へ急いだ。
講演は午後からだったので、まず名大に向かった。情報学研究棟の院生室にはまだ誰もいなかった。事務仕事をしていたら、定期の落とし物の届出があったとの電話があった。すでにカード会社に電話してクレジット機能を止めた後だったので、カードの再開ではなく再発行が必要だが、定期が帰路から使えるのは助かった。
午後の講演を終えて疲れていたので、帰りの新幹線はグリーン車に乗って、作業をしていた。片付けても片付けても終わらない仕事に集中していたら、もう品川。慌てて駅を降りて、山手線に乗る直前で、iPhoneがないことに気づいた。慌ててGPSで位置情報を調べたら、iPhone が品川から東京に向かっている軌道が見えた。やってしまった …。
清掃員の方が気づいて、東京駅の落とし物コーナーに届けてくれるかもしれないと思い、自分も東京駅に向かった。しかし、その願いも虚しく。iPhoneは大阪に向かって再び動いていた…。諦めて家に帰った。夜に確認したところ、どうやら大阪の新幹線の車両基地にあるようだ。
翌日、再度GPSを確認し、JR西日本やJR東海の落とし物係に電話して、「iPhoneが新大阪駅に移動した」ことを伝えた。そして、昼過ぎにiPhoneが見つかったとの連絡があり、着払いで送ってくれるとのことだった。本当に助かった。
数々の不注意を重ねてきたが、一日で2つも重大な不注意をやるのは初めて。流石に自分のダメっぷりに凹んだ。この注意散漫は疲労からきているのかもしれない。ワーク・ライフ・バランスを見直す時期に来ている。
今年はよく講演依頼が舞い込んだ。もちろん、お声がかかることは、研究者としては喜ばしい限り。ただ、11月はビデオ発表も含めると講演が5つあって、それぞれに事前打ち合わせや書類作成、発表資料の作成と予行演習もあったので、かなりしんどいことになった。
講演がオンライン開催になってからは、聴衆の反応が見えないことが多いので、質問がないと手応えが感じられず、落ち込むことも多々あった。今日の東工大の講演会もやはりオンラインだったが、質問もいくつか出たし、対談する先生が自分も興味があるツーリズムをご専門にされていたので、面白く参加させてもらった。
謝金云々とは関係なく、お役に立てそうな講演依頼は今はできるだけ引き受けている。しかし、そろそろセーブして、充電期間に入ろうと思ってはいる。新しい研究成果が出て、発表したいという気持ちが内側から湧いてくるまでは。
当たり前だが、休日はお休みである。そんなことはお構いなしで、休日でもメールは来るし、Slackの通知も来る。メールとSlackの「おかげ」で(というか「せい」で)、四六時中、つながりっぱなしの状態である。
ひと頃「つながらない自由」というのが話題になった。独身の研究員時代は、研究もプライベートもごちゃ混ぜの日常だったので、特に気にもしなかった。しかし、普段は教育・研究・雑務に追われ、どうやってマインドフルネスを取り戻すかに苦労している中、せめて休日ぐらいはゆっくりとしたい。
せめてもと、iPadのGmailアプリは目のつきづらいところに移動し、Slackアプリは削除した。iPhoneも、GmailとSlackは目につきづらい場所に移動した。日に三度ぐらいチェックすれば十分だろう。
つながりっぱなしの現代は、努めて「切断」する必要がある。そもそも、休日に送られてくるメールなんてロクな知らせがないので、見ると気分を害したまま休日を過ごすことになる。見ないにこしたことはない。
つながらない自由のため、今後はそのようにします。悪しからず。
論文や学会誌原稿など、諸々の締め切りが立て続けにあって、先月は精神的にも体力的にもかなりキツかった。特に、ロジックもストーリーも無茶苦茶な論文を改稿するのは、かなりしんどい。
4本中2本は先月末が締め切りの論文だったので、無難にまとめるしかなかったので、少し不本意でもある。それでも学生の卒業要件との関係や、学生のモチベーションを高めるためにも、「頑張って論文を書こう」と叱咤激励してきたので、投稿を諦めるという選択肢はなかった。
さらに、木曜夜(18:40〜20:20)も授業担当になり、21時からは研究室ゼミと個別の議論があるため、木曜の疲労はハンパない。隙間時間で子供たちをお風呂に入れ、晩御飯を食べている。
ふと財布に入っていたカフェのコーヒーチケットに目をやると、有効期限がとっくに切れていた。昨年は、しばしばこのカフェでコーヒーを飲みながら、書き物などをしていた。今年度になってから、そんなことはほとんどできていない。
3Qの授業はあと1回。先週末は、高円寺の輸入ビール屋のIPAで自分にご褒美。一本千円もするのだが、そのぐらいのプチ贅沢ぐらいなら許されるだろう。誰も褒めてくれないが、自分はよくやったと。
ポスドク時代を思い出させる出来事があった。エディタ・リジェクトの嵐である。論文を投稿しても、エディタが価値なしと判断すれば、査読にも回されず返される。しばらくの間経験することがなかったので、そういえば異分野融合型の研究ではその確率が高いことを思い出した。
UCLAでの研究をまとめた以下の論文で、その経験をした。次の職を見つければならない中で、リジェクトを何度もくらい、なかなか論文にならず、本当に困ったものだった。しかも、ニッチな領域の研究なので、論文になったとしても、職につながる保証もなかった。
K. Sasahara, M. L. Cody, D. Cohen, and C. E. Taylor, Structural Design Principles of Complex Bird Songs: A Network-Based Approach, PLoS ONE 7(9): e44436, 2012
テニュアの職なので、リジェクトを何度食らおうが職を失うわけではないので、そのショックは以前ほどは大きくないかもしれない。それでも、魂を込めて書いた論文が査読にも回されない悲しさは大きい。最近はオープン系の雑誌ばかりに出していたので、エディタリジェクトがなかったのだ(よほどひどい論文は、それでもエディタリジェクトされるだろうが)
自分がPLOS ONEのエディタをやるようになって知ったが、エディタは忙しすぎて、それほど論文の価値がちゃんとわかっていないことも多い。PLOS ONEの場合は、基本的に全て査読に回すので、私の価値観がその段階で影響することはないが、他のメジャーな雑誌の場合は、はっきり言ってエディタの好みに左右される。今回のコメントを読むと、たいして論文を読んでないことが明らかなので、あまり気にしても得られるものはない。適切な別ジャーナルを選んで、今日、再投稿した。
もうエディタ・リジェクトは勘弁願いたい。
2019年12月に第2回NTTデータ-Twitter Innovation Contestに当時の学生たちと参加し、最優秀賞と日立製作所特別賞をダブル受賞した。それがご縁で、日立との共同研究が始まり、その最初の成果が先日ニュースリリースされた。
大量のテキストデータからモラルを定量化する新機能を、日立の感性情報分析ツールに組み込んだ。ここまで来るために、何度も打ち合わせをし、色々な障害もあった。まずは共同研究がかたちになって良かった。すでにいくつかの記事が出ているようだ。
今後、どのようなユースケースが出てくるのかが楽しみだ。この技術のもとになった論文はこれ。J-MFD自体はMITライセンスで公開しているので、学術利用だろうが商業利用だろうが、使用するのは誰でも自由。
義父が亡くなった。自宅で、最後は眠るように息を引きとったという。安らかな死。がんを患ってはいたが、最後は理想的な死に方と言えよう。不思議なもので、故人を思い出すときは、笑顔や笑い声が頭に蘇る。孫たちが来ると、嬉しそうにしていたのを思い出す。
人は生まれると、ハイハイからよちよち歩き、自立歩行ができるようになり、1つ1つできることが増えていきながら大人になる。そして、仕事の山を超えたあたりから、1つ1つ出来なくなっていき、老と死を迎える。
自分も間違いなく下り坂を歩き始めている。頭で否定しようとしても、体は嘘をつけない。もちろん、トレニーングして体を多少鍛え、食生活に気をつけて健康をある程度維持することもできよう。いや、そうしなければならい。
格好いい生き方と接続する格好いい死に方。その瞬間が何年後なのか、何十年後なのかはわからないが、薄れゆく意識の中でどんな風景を見ながら、自分は自然に還っていくのだろうか。
3Qの「情報・サービスと経済・社会システム I」の授業では、マッド・リドレーの「人類とイノベーション」を輪読し、議論する。進化の視点で様々なイノベーションの事例を紹介し、それらに共通する性質を説明している。広範な人類学とテクノロジーの知識が必要で、誰にでも書けるような本ではない。マッド・リドレーの本はどれもベストセラーになっているが、この本は特に面白い。さて、どんな授業になるだろうか。
我が家では家族4人、川の字になって寝ている。4人いるので、棒が一本多いが。生まれた時はあんなに小さかった息子は、今では幼稚園では一番大きいぐらいだ。赤ちゃんだった娘も、いつの間にか大きくなり、重たくなった。
これまでは並んで寝ても、狭さを感じることもなかった。しかし、最近では子供たちが大きくなったのに加え、寝相が悪く、あちらにゴロゴロ、こちらにゴロゴロするので、そろそろ手狭になってきた感じがする。大人に向かってすくすくと成長していることが嬉しくもあり、少し寂しくもある。
いつまで川の字で寝れるのか。よくわからないプレッシャーとの戦いの合間に思う。今だけは、子供たちのかわいい寝顔を見ていたい。
夏休みが始まらないまま、夏休みが終わってしまった感じがする。講義が終わって、さて研究する時間ができるかと思っていたら、なんやらかんやらで時間がない。子供に夏休みの宿題終わったの?なんてとても言えた義理じゃない。
去年の8月・9月のカレンダーと比較してみると、何もない日がほぼない。いくつか断った依頼もあるが、メディアや学生からの取材、知人から講演依頼は断るわけにもいかず、それらは例年よりも多かった。会議も律儀に全部出ていたら全く仕事にならないので、以前より断ることが増えた。心を鬼にして、必要のない会議は切るしかない。
小学校や中学校の頃、もっと夏の1日は長くて充実していたと思う。あの感覚を取り戻したい。
東工大MOTオープンハウスが開催された、142名の申し込みがあり、当日も96名が参加した。96/142〜67%なので、参加率は7割未満という意外な気づき。コロナでウェビナーが乱立しているから、土曜午後のイベントとしては健闘した方ではないかと思う。
今回は、Twitter Japanの後藤和江さんに招待講演をしていただいた。2019年に開催されたNTT Data-Twitterイノベーションコンテストでお世話になったのがきっかけで、今回、招待講演をお引き受けいただいた。Twitterの最新動向、防災の取り組み、インクルージョンとダイバーシティーなど、後藤さんのお話はわかりやすく、とてもよかった。
その後、2名のMOTの学生の研究発表があり、私の研究室から橋本さんが「食の価値観の変遷」をTwitterのデータで分析した結果を紹介した。東工大に移ってから最初にもった学生が橋本さんだ。一緒に研究を始めてまだ1年経っていないが、準備され、成長を感じる良い発表だった。イベントとしては大成功。
当日の運営よりもその準備の方が大変だ。しかも、今日はオープンハウスが終わってからすぐに、認知学会の発表にリモートで参加する必要があった。とても疲れた...。
集団接種会場の青山学院大学でファイザー製のワクチンを打ってきた。大学生や大学教員向けに東京都が設定したものだ。予約サイトになかなかつながらなかったので、無理かと思った。しかし、翌日大学に行ったら、つなぎっぱなしにしていたブラウザに、自分の順番が表示されていた。会議だらけでなかなか都合がつかず、ようやく今日が1回目の接種となった。
久しぶりに渋谷の駅に降りた。青学を目指したつもりが、真逆の方向に歩き出してしまい、道に迷いながらギリギリでキャンパスに着いた。ほとんどが都内の大学生だったと思う。スタッフの方々のおかげで、手際よくワクチン接種は進行した。本当にありがとうございます。
ワクチンを打って、15分経過観察をした後、青学のキャンパスを後にした。喉が渇いていたので、アイスコーヒーでも飲もうと近くのスタバに行ったが、やっていなかった。張り紙がしてあって、「スタッフにコロナ感染者が出たのでしばらく休業します」とのことだった。コロナがすぐそこまで迫ってきている。そう実感した。
今ところ、特に大きな副反応は出ていない。2回目の方がきついと聞くので、次回が少し心配だが。ワクチンを2回打った人を「フルチン」と言うそうだ。日本中にフルチンが増えれば、社会も新しいノーマルに向かってギアが入るだろう。
今年もコロナで帰省することず、台風で天気は大荒れ。エネルギーを持て余している子どもたちを安全に遊ばせる場所はないものか。いつものお風呂とは違うところに行ってみるかと検索したところ、おふろcafeなるものを見つけた。
施設内はグランピングのコンセプトで統一されている。キャンプ場のようになっていて、テントがあったり、子供の遊び場があったり、長居できる休憩場所がたくさんある。レストランやカフェもある。スーパー銭湯は普及していけれども、こういうおしゃれさはない。お風呂とカフェの融合というのは、ありそうでなかった。
それなりにお値段もするが、家族やカップルで長居するにはよい。たまの贅沢。
今日で東京オリンピックが幕を下ろす。前回リオ大会はブルーミントンで見ていた。その4年後、まさかコロナで延期され、さらには無観客で開催になるなんて。タイムマシーンで5年前に戻って、当時の私に伝えたらどんな顔をするだろう(あー、5年もたったのか)。
オリンピックの開催については色々な考え方があって然るべきで、賛成には賛成する理由が、反対には反対する理由がある。どちらもごもっとも。開会式や閉会式の文句を言っている人もいる。お金をかければかけたで文句が出て、かけなければかけないで文句が出る。口だけなら好き勝手言える。よりよい大会につながる建設的な意見であれば、いくらでもぶつけ合えば良いと思う。
ただ、怒りの矛先がアスリートに向かうのは断じて違う。選手たちは矛盾と不安を抱えながら、最高のプレーをした。そんな人たちに向かって、なぜ声援ではなくて非難をぶつけられるのか。そういう屈折した表現は絶対にいけない。
金メダルのラッシュに沸いたTokyo 2020。私は開催してくれたことに感謝したい。コロナで鬱々とした気分を吹き飛ばし、世界の人々に元気をくれた。柔道やレスリングの金メダル、上野投手の渾身のストレート、侍ジャパンの金への執念。どれも素晴らしかった。異例づくしのTokyo 2020は、間違いなく歴史に残るオリンピックになった。
拙著「フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ」の追補版がDOJIN文庫から出版されます。正式な発売日は7/25ですが、製本が遅れているそうで、7/30頃になるそうです。
以下は、文庫版あとがきから引用。
文庫化にあたり、本文全体を再度チェックしましたが、根本から書き直さなければならないような内容はなかったため、古くなった記述をアップデートし、残っていた誤植を修正するのに留めました。その代わりに、二〇一八年以降のフェイクニュースをめぐる重要な動向について追補を書き加えることにしました。とりわけ二〇二〇年に生じた新型コロナウイルスの世界的流行にともなう変化は、情報生態系に不可逆的な影響を及ぼしました。そのことについて、正確かつわかりやすく記述するよう心掛けました。
追補とはいえ、新たに1章を書くのにも、全体をチェックして間違いを潰すのにも、かなりの時間を費やしました。講義の準備や学生の指導、プロジェクトの研究で一杯一杯の状態で、この作業をすることは容易ではありませんでした。そして、アシスタント、出版社の方々、大勢の方がたの助けがあったからこそ、出版に漕ぎ着けることができました。この場を借りて感謝したいと思います。
文庫版になった本書が、多くの方々のお役に立つことを願っています。
先日、日本経済新聞に取材を受けたときのコメントが掲載された。電子版の記事はこれ。この記事に関して、びっくりな経験をした。
これまで新聞の取材を受けて、それが記事になるときは、コメントした箇所の記述に間違いがないか確認してきた。いつ記事が出るか内々で教えてくれる記者もいたし、出てから新聞を送ってくれる記者もいた。少なくとも事前に確認はしてきたので、それが当たり前だと思っていた。
しかし、この記事は内容確認することもなく、記事になったことが知らされることもなく、日経電子版のアプリを見ていていてたまたま見つけた。もし、アプリを見なかったら、この記事に気づくこともなかっただろう。しかも、不正確な記述があった。慌てて記者にそのことを指摘したところ、意外な返信があってびっくりした。
事前に記事を見せるような行為は、報道機関はやってはいけないというのだ。 おそらく報道の自由と関係しているのだろう。たまたま別の新聞の取材を機会があったので、担当記者に質問してみたところ、同じことを言っていた。 ただし、慣習として、事実確認をしてもらうことが多いそうだ。 そして、これからは取材を受ける前に、事実確認をさせてもらえるか尋ねるのがよいとも。
意外だったが、記事の確認を求められなかったこと自体は仕方ないようだ。 ただし、自分の名前が出ている以上、不正確な記述は困るので、修正してもらった。
朝起きると、毎日のように大谷翔平選手のニュースが飛び込んでくる。特大のホームランをかっ飛ばし、160キロの豪速球を投げる二刀流。「そんなこと無理なんじゃないか」というような懐疑の声には、結果で答える。何て格好いいんだろう。
野球に真摯に取り組む姿や礼儀正しさ、人間性、大谷選手の魅力をそんなふうに表現することはできる。しかし、端的にいうと、「本物」であり「プロ」なのだ。
では、自分には何ができるか。科学者として、まだ何一つ「発見」などと言えるようなものを見つけていない。アインシュタインやホーキングに憧れて、科学者の道を選んだのではなかったか。
原点に立ち返り、科学者らしい科学者に。そうなりたい。
東工大に異動し、担当する授業は初めての教科ばかりだったので、前期は講義スライド作りにかなりの時間を要した。とても良い勉強の機会にはなったが。昨日で1Qと2Qの自分の担当分を終えたので、授業に関しては、これでひと段落(レポートの採点や院試など、気の抜けないイベントは続くが)。
一定の難易度を保ちつつ、わかりやすい講義スライドを作成し、わかりやすく講義するのは指南の技。1Qの授業アンケートのコメントを見ると、「難易度設定は適切で、わかりやすい」との声が多かった。かなり苦労して準備したので、そのようなポジティブな意見はうれしい。
一方、1名だけ、「何を意図した授業かわからない」という声もあった。さすがにショックを受ける。全員が満足するような授業はもちろん無理。その人が感じる満足度は、先生の力量だけでなく、学生のモチベーションや基礎力(特に、数学とプログラミングについての)、レディネス(準備)にも大きく依存する話。そういうネガティブな意見もあるという現実は受け止めることにする。
講義スライドの作成に使っていた時間が空くので、いよいよ溜まっている論文執筆、本の執筆、各種プロジェクトの研究を一気に進めなければならい。これらに時間を割けないことに後ろめたさを感じつつ、講義や雑用をこなさなければならなかった。反転攻勢の時。
倅少年の昨年のクリスマスプレゼントはキックスケーターだった。それも、GLOBBERというメーカーのなかなかお値段のするやつだ。車輪がキラキラ光るのが特徴で、デザインもよい。倅少年も気に入って、公園に遊びに行く時は、大体これを持っていっていた。
いつもは車に積みっぱなしにしているのだが、久しぶりにこれを引っ張り出そうとしたら、ないことに気づいた。盗まれたのか、あるいは、どこかに置き忘れたのか。記憶を辿って可能性がある候補地を絞り込んだら、どう考えても先月に行ったカマキリ公園だ、ということになった。帰る直前にトイレによって、そのままキックスケーターを置き忘れた可能性大ということになった。
もう誰かが持っていってしまったかもしれないと、諦めて、Amazonで同じ商品を買おうとした。が、とりあえずダメもとで公園の事務所に電話をしてみようと、購入は思いとどまった。そしたら何と、公園の事務所にそれらしきものがあるという。親切な誰かが届けてくれたのかもしれないし、トイレ清掃に入った時に管理室の方が見つけてとっておいてくれたのかもしれない。
何はともあれ。忘れ物が届けられる国、日本。まだまだ捨てたものではない。
まだ助教だった頃、この時期は国際会議に参加したり、海外の共同研究者のところに長期で行ったりしていた。海外出張となると1週間は家を不在にすることになるのだが、それが研究を頑張った自分へのご褒美でもあった。
高額の旅費を払い、激しい時差ぼけをしてまで海外に行くのだから、なんとか元を取ろうと、学会に参加するモティベーションも高くなるし、研究の打ち合わせにも力が入る。
しかし国際会議もオンラインになって、気軽に学会を離脱できるこの状態だと、なかなかそこまでして会議に出ようという気持ちにならない。自宅にいてオンラインで国際会議に出て、一人時差ぼけ状態になっても、なかなか周囲からは理解されないだろうし(「国際会議参加中」と顔にシールでも貼っておけば良いのか...)。
そして、現在の職場に移ってからは、新しい講義の準備で追われて、とても学会にフル参加する暇がない。大型の研究プロジェクトもやっているので、少なくとも今年度いっぱいはこの状態が続くだろう。講義資料が一通り整えば、来年度からは余裕ができると信じたい。
せめて、IC2S2だけはできるだけ参加したい。2つ研究発表の予定だ。
1Qの講義に目処がつき、2Qまで少し時間が空いたで、このチャンスに「フェイクニュースを科学する」の追補を書き終えた。7200字+図4点なので、短めの1章程度。前回の終わり方が変に凝っていたので、少し書き方に工夫が必要だった。なんとか当初の目的は果たせたかという感じ。
「フェイクニュースを科学する」は多くの方に読んでいただき、新聞の書評やブログなども評価していただいた。発売から2年が過ぎたが、コロナ禍で再びフェイクニュースの問題が再燃し、需要もあった。しかし、諸般の事情で増刷はされず、ずっと品薄の状態が続いていた。Amazonを見ると中古でも定価より高く、新品にいたっては倍以上の値段で売られている。
すでに化学同人のホームページやAmazonでも告知されているが、7月下旬に追補を入れた文庫版が出版される。これに伴い文庫版の内容がKindle化される。これからこの本を購入される方は、文庫版かKindleを購入していただきたい。
一仕事を終えて、燃え尽きた感じがないといったら嘘になるが、もたもたしていられない。2Qの講義の準備もしなくてはならないし、書かなければいけない論文も2本ある。一体何をどうすれば、研究の時間がとれるのか...。
「謙虚さ」について改めて考えさせられている。先週はお詫びのメールを書くことが多く、1つの理由はそのことにある。
提出書類や大学の連絡に対応しなかった学生たちの失礼を、担当の先生方にお詫びするメールを何通も書いた。電話もかけた。自分に非があるならば、関係者に謝罪し、「今後は気をつけます」と反省するのが常識だろう。しかし、学生たちからは謝罪の言葉は一言もなかった。
さすがに、この態度を注意しないのはまずいと思ったので、「自分のミスを謝罪するのは常識」「対応してもらったら感謝を伝えるのが常識」と注意した。本来は家庭で言うようなことだと思うが、教員としてこの態度を見ぬふりして、何事もなかったかのように研究指導を継続するのはナイと思った。もっと言うと、学生たちの謙虚さのなさに我慢がならなかった。
昨晩、YouTubeを眺めていたら、桜井和寿 × 稲葉浩志の夢のような対談があって、1限の授業があったのだが一気に見てしまった。どちらも僕が大好きなボーカリストだ。一流であるにもかかわらず謙虚で、言葉を丁寧に選んで説明しようとする様子や、ライブでパフォーマンスを発揮するための日々の努力の話に感激した。謙虚さ、真摯さ、表現者の孤独さ。いろんなものが詰まっている。
現代思想2021年5月号(陰謀論」の時代)に寄稿した記事が掲載された。タイトルは「フェイクニュースと情報生態系の進化」。最近のデータ分析の結果も交えながら、情報生態系の理解に計算社会科学のアプローチが必要であることを書いた。他の特集記事も面白そうなので、目を通したい。
執筆依頼を受けた時は、授業の準備で死にそうになっていることは目に見えていたので、丁重に断ろうかと思った。しかし、このテーマで断るのは研究者失格のような気がして、引き受けてしまった。ある程度ストーリーラインは見えていたので、ギリギリの判断だったけど。
執筆依頼がよく来るようになった。ありがたいことだ。しかし、毎度似たようなことを書いている気がして、しばらくはお休みにして知識を充電したい気分だ。招待公演や取材・インタビューもそう。
現時点で本の執筆が2つ、翻訳が1つ、すでに決まっている。体は1つしかない。授業と研究をすることがメインの仕事なので、建前上は余暇でやることになるのだが、余暇なんてない...。
このところ問い合わせが多い。講義やゼミの聴講希望、大学院の進学希望、研究員の希望などなど。何十人も希望が殺到する人気研究室というわけではないが、興味を持ってくれる人が増えることは喜ばしいこと。助教の時は学生が全く来なくて、大変だった。
4月から技術支援員が2名来てくれたので、事務作業や研究のサポートをしてもらえるのはとても助かる。昨年度は予算管理を自分でやらなければならず、予算を使うごとにそれを処理する作業が発生し、とても研究どころではなかった。色々と手続きも間違って、4月中旬にようやくトラブルが解消した。
新年度で色々と忙しいが、ようやくやりたいことができる地盤を固めるチャンスがやってきた。学位をとってから20年の節目も近づいてきた今日この頃。あの頃なりたいと思っていた科学者には全然なれていない。今年が勝負の年か。
新型コロナ第4波の最中、2021年度の新学期が始まった。去年のブログを見直したら、同日に緊急事態宣言のことを書いていた。もはや授業もゼミもオンラインがデフォルト。対面でやる方が一大事な感じだ。すっかり感覚が変わってしまった。
去年の今頃は、自転車で八事の坂をえっちらおっちら上り、名大のラボに出勤していた。そして、学生も誰もいないラボで、Zoomに向かって話しながら講義ビデオを撮影していた。その時の講義ビデオの遺産を使って、今年は名大の非常勤講師として計算情報学12を担当する。
東工大では数理情報分析基礎IとIIの講義をこの1Qと2Qで担当する。苦しみながら楽しみながら、講義資料を1から作っている。学生はとてもモチベーションが高いので、講義をするのは楽しい。しかし、それだけ求められるレベルも高いので、入念に準備をしなければならない。
山ほど雑務があるが、今年度はアシスタントが2名いるので、昨年のようなことにはならないと期待している。研究、執筆、翻訳、学生の指導、雑用雑用雑用...。夏休みまで溺れずに辿り着けるか。
所沢にツリーハウスのあるカフェががあった(Link)。誰もがツリーハウスと聞くと、ワクワクするのではないだろうか。桜を見に狭山湖に行き、その帰りに立ち寄った(狭山湖の桜は老朽化して、多くが切られてしまったようだ。桜の名所ではなくなってしまっていた。残念)。
売店があって、そこでオーダーをしてから席を選ぶ方式。カフェの利用だと30分、食事だと60分で、空いている席を利用することができる。残念ながら、ツリーハウスの方は別の家族が利用していて使えなかったが、その下のキッズルームを使うことができた。ハンモックがあったり、おもちゃがたくさんあって、子供には大好評。
外の庭には遊具やトーマスの乗り物があったりして、自由に遊べる。子供たちも「楽しい、楽しい」とはしゃいでいた。所沢は東京よりもだいぶゆったりとして、程よく田舎で良い。
旭丘高校のSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の発表会と会議に出席してきた。旭丘高校に来校するのは、2年前に池上さんと講義をした時以来。もちろん、あの頃はコロナのコの字もなく、対面での講義だった。校長室で待機している時に、質問攻めにあったのを覚えている。とても熱心で素晴らしい学生たちだ。
今日のイベントでは、午前中に東大i.schoolの堀井先生が、イノベーションについてわかりやすく講演した。ワークショップを通じて、様々な社会課題を解決するアイデアを創出するコツがとてもよくわかった。そして、高校生たちがこれを自分の問題として捉え、「新しい価値を生み出すために、高校生にできることは何か」など、とても素晴らしい質問を連発していた。
午後は、高校生たちが自主的に取り組んでいる研究についてのポスター発表があり、ユニークな視点での研究がたくさんあった。まだ研究を始めたばかりのも多かったが、11月の発表会に向けてどう仕上がってくるのかが楽しみだ。
優秀で熱心な高校生たちの頑張りを目にすると、自分も頑張らなくてはと思いなおす。
先週末にデジタルマーケティングの講義が終わった。ほっと一息する間もなく、今週の日、月とまる2日、プロジェクトレポートの発表会があった。その前の週も、お願いされて参加したイベントが日曜の午後まるまるあったので、かれこれ二週間まともに休んでいない。
その間、原稿や取材の仕事もいくつかこなしたし、修論を2つチェックした。本の査読もした。来週には博士課程の院試、修論発表会がどどど...とやってくる。いくつか新たに執筆の依頼も舞い込んできたので、この春休みにやるしかない。
複数の研究プロジェクトを進め、研究室の学生の指導もし、それ以外の学生の面倒も見る。来年度は新たに3つの科目を教えなくてはならないので、その準備もある。このような状態だと、一つ一つの仕事が疎かになるのではないかと、いつも気にしている。
売れっ子先生ならさらに分刻みのスケジュールだろう。そういう人たちは、どうやってインプットとアウトプットの時間を確保し、仕事の量と質を最大化しているのだろうか。不器用な僕にはマルチタスクなるものはできない。
1/12(火)~14(木)の日程で、鳥取大学の集中講義「計算社会科学によるソーシャルダイナミクスの理解と応用」を担当した。鳥取に出張して対面で講義をする予定だったが、やはり、オンライン開講となった。講義内容は以下のような感じ。
今回は大学にもいかず、完全リモートワークで、自宅からネットにつないで講義をした。小さな子供がいる家庭では、なかなかに厳しい。講義の最中に、下の子が大声で泣き出したりして、冷や汗をかいたが、何とか事なきを得た。妻も、子どもたちが騒がないように注意していなければならいので、気が気ではない。
最終日は、試しにAirpods Proをつけて講義をしてみた。ノイズキャンセリング機能のおかげで、泣き声がシャットアウトされて、自分の声が聞こえずらい違和感を除けば、これがリモートワークでの授業の正解のような気がする。最初からそうすればよかった。
準備も講義も大変だったけど、学生からの感想もまずまずなので、集中講義をやってよかった。さて今後は、院試の準備やら、名大の修論や東工大のプロジェクトレポート、CRESTのプロジェクトの事務作業などなど、やるべきことは多い。
第4回のデジタルマーケティングの授業が終わった。残りは3回。うち2回は外部講師による講演なので、実質的に自分が担当するのはあと1回。
この講義を担当することになった時は、果たして、社会人院生を対象に満足のいく授業になるだろうかと心配だった。しかし、みなさんモチベーションが高く、グループワークも活発なので、毎回楽しみながら授業ができた。準備は大変だが、より良いもの目指す努力は望むところである。
さて、授業がひと段落したので、冬休み中に溜まっている仕事にこれから取り掛かる。共著の本の原稿の修正と後書きの執筆、とある事典の原稿執筆と査読、1月に集中講義の準備などなど。
新たにCRESTのプロジェクトも始まり、東工大に異動してから色々と活躍のチャンスもいただいた。来年はますます忙しくなるだろう。それもまた自分の成長の糧だ。
何はともあれ、良いお年を。
「あなぐら」にこもったまま2020年が終わろうとしている。見直してみたら3月のブログでコロナの話題を書いていた。「数ヶ月で終息するだろう」などいう楽観的な予測が外れ、まもなくコロナ禍のメリークリスマスである。
去年の今頃とはいろいろなものが変わった。去年の12月といえば、名大の学生たちとNTT-Twitterコンペに優勝して、研究室としても盛り上がっていた。しかし、4月からほぼ研究室の活動はオンラインのみになり、研究室の活動としては去年の今頃ほどの活発さはない。もちろん、学生は彼らなりに頑張ってはいる。こんな状況でも着実に成長した学生もいる。一方で、伸び悩んでいる学生もいる。とにかく、彼らができるだけ研究しやすいようにと頑張ったつもりだ。
今年は講演も原稿執筆もかなりこなした。だからと言って、誰かが褒めてくれるわけでも、お疲れ様と労ってくれるわけでもない。お役に立てればと、粛々とこなした。それでも、講演を熱心に聞いてくれたり、質問がたくさん出たりすると、「報われた」という気分になる。そのために頑張っているようなものだ。
今年は帰省もできない。年明けには色々な締め切りが待っている。少し休んで、ボーっとしたいな。
今年度の4Qからデジタルマーケティングの講義を担当することになった。「フェイクニュースを研究している人がなぜ?」と思われる方も多いだろう。
私はずっとアカデミアの道を歩いてきたので、企業のマーケティングの実務についてはよく知らない。その部分に関しては、知人のマーケティングの実務家をお呼びして、ゲスト講演をしていただく。
しかし、計算社会科学の研究者なので、人と社会と情報の相互作用から生じる現象については、色々な理論やその理解の仕方を知っている。そういう視点から見ると、実はデジタルマーケティングは計算社会科学の実践の場と見ることができる。実際、講義の準備のために様々な本を読んでいて、デジタルマーケティングとの接点や面白さを発見した。
今日は第一回目の講義がオンラインで開催され、30名ぐらいの受講生が参加した。私も受講生も自宅からZoomにつなぎ、60分で講義、その後、グループワークを行った。受講生はみんなとても熱心で、短い時間でも上手に議論し、発表もそつなくこなした。さすが社会人学生だ。
準備も講義も大変だが、その充実感はこれまでには得られなかったものだ。適度な緊張感の中で仕事ができ、その都度、達成感が得られるというのは幸せなことだ。特に、このコロナ禍においては。
ものすごい勢いでカレンダーの空き時間が埋まっていく。知り合いの先生のお誘いはなかなか断るわけにもいかず、こちらがお願いする立場になることもあるので、できるだけ引き受けることにしている。それはお互い様。
最近、本気で断りたいと思っているのはマスコミ関係。「大学の先生なのだから、インタビューに答えて当然」みたいな上から目線でメールが来ると、本当に困ってしまう。授業準備に学生指導、そして事務作業に雑用と、もはや自分でコードを書いて研究する時間などない。そして、Zoomの会議、会議、会議。
いい研究をして、学会に出かけて行って、いい発表をして、おいしいご当地グルメを食べる。なんて、経験はせずに2020年が過ぎていく。最後に学会らしい学会に出たのは、大分であった国際会議が最後だったなぁ。金沢でやっていた研究会を抜け出して、新幹線と特急を乗り継いで学生の発表に駆けつけたのだった。もう、そんなこともできないし、今ならZoomになるだろう。
10月は原稿などの締切がなかったので、「安寧」という大袈裟な言葉がぴったりな月だった。9月の忙しさは何だったのか、という感じ。もちろん何もなかったわけではなく、名大の学生たちとゼミやジャーナルクラブを再開し、学生の論文を直したりして、これまで通り研究指導にはしっかり時間をかけた。
そして月が変わり11月になった。Q4の授業の準備を急ピッチでやらないとまずい時期になった。依頼された講演や授業もある。過去の資料の使い回しで、新しいところが何もない発表は嫌なので、ある程度の作り直しが必要だ。院試の業務もある。
決してサボっているわけではないのに、遅々として成果が出ない。一方、Twitterでは、毎日のように、知人が論文を発表したり、本を出版したりと、コロナなんてお構いなしに業績を上げている情報を見る。なんだろう、この差は。
いやいや、人は人。自分は自分。一つ一つ納得のいく仕事をする中で、自ずと成果も出るはずだ。
久しぶりに一冊の本を一気に読んだ。ここ数年あまりにも忙しく、調べものをする以外で読書する余裕はほとんどなかった。ここまでよく書けた面白い伝記はそうはないと思う。
天才デジタル担当大臣として、コロナ禍で急に日本で注目されるようになったオードリー・タン。最初に彼女に興味をもったのは、rebuild.fmに出演した回を聞いた時。キレがよく、ユーモアに満ちた回答にとても惹きつけられた。自分のような凡人には到底及ばないセンスをもちぬしだ。そして、口だけでなく、実際に社会を変えている。
彼女の自作の詩らしいが、以下はとても素敵な言葉だと思う。
When we see the Internet of things, let’s make it an Internet of beings.
When we see virtual reality, let’s make it a shared reality.
When we see machine learning, let’s make it collaborative learning.
When we see user experience, let’s make it about human experience.
Whenever we hear the singularity is near, let us always remember the plurality is here.
ぜひ一読をお勧めしたい一冊だ。
東上線には親しみがある。理研で研究員をしていたとき、下赤塚に3年住んでいたので、東上線の下赤塚か地下鉄赤塚の駅を利用していた。その時は、2路線使えたので、どちらかが止まっても、なんとか職場や東京方面に行くことができた。
昨日、池袋付近でポイント故障があったらしく、東上線が3時間以上動かなかった。志木駅のホーム待っていたが、急行電車は動く気配がなく、地下鉄に乗り継ぐための各停電車は満員で乗れない。
一旦改札を出て、駅構内のスタバで時間を潰したり、本屋に行ったりしたが、一向に改善されないので、家に帰ってリモートワークをすることにした。幸にして大事な会議などはなかったが、研究室のゼミがあった。書斎の入り口をダンボールで塞いで子供たちが入ってこないようにガードして、何とかゼミを終えた。
リモートワークという選択肢を選べるのはいいことだが、小さな子供がいる家庭では、全く仕事の効率は上がらない。書斎があってもこうなのだから、ましてや書斎がないご家庭ではなおさらだろう。
今日は頼みますよ、東上線。
9月は依頼原稿の締め切りが3つ合って、本当にしんどい月だった。異動したばかりで、書類仕事が山のようにあり、まとまった時間がなかなか取れなかった。しばしば、よくわからない仕事も舞い込んだ。それぞれの締め切りを一週間伸ばしてもらうことにはなったが、先日、3つ目をなんとか書き終えた。本当に安堵した。
とはいえ、まだまだやらなければならないことは山積み。Q4に向けて授業の準備をしなければならない。鳥取大の集中講義の準備もあった。学生との論文は、かなり直さないといけない。まだ東工大のシステムにも慣れていないので、事務作業には毎度時間がかかる。
しかし、好転の兆しもある。東工大MOTを受験しようとする人たちは、モチベーションの高い社会人が多く、様々な企業に勤めている方がいるので、ずっとアカデミアにいる自分にとっては新鮮で刺激も多い。そして、機会の多さという点では、東京はやはり地の利がある。
とりあえず、頑張った自分にご褒美。秋味で乾杯。
職場が変わり、引っ越して、環境が変わる。年をとると、環境を変えることがこれほど苦になるのかと痛感している。自分一人だけなら、そうでもないのかもしれないが。
大学で上京して以降、川崎→南大沢→お台場→下赤塚→ロサンゼルス→中野→名古屋→ブルーミントン→名古屋→新座と、2回の海外を挟んで、いろいろなところに引っ越しをした。中でも、名古屋は8年住んだし、子供たちが生まれた場所だし、何よりも車で1時間走れば、海も山も大きな公園もある環境、そして喫茶文化が大好きだったので、名古屋を離れたのは残念な気持ちで一杯である。
一番のネックは子供たちの学校だ。通っていた幼稚園はキリスト教系で、優しい先生たちと仲の良い友達がいたので、息子も楽しそうに通っていた。そんな中、自分の仕事の都合で息子が別の幼稚園に通わなくてはならなくなるのは、申し訳ない気持ちで一杯だ。もちろん、新座は新座でいいところだし、息子も新しい幼稚園に少しずつ慣れてきているのは幸いだ。子供たちが小さいうちの異動でよかったという意見は真っ当だろう。
名大にはこれからも指導を継続する学生たちもいる。彼らが卒業するまでは自分が責任をもって指導すると決めている。東工大は東工大で、(社会人の)院生が来るようになるだろう。新しい授業の準備もしなければならないし、これまでよりも会議は多い。
黙々と仕事をこなしながら、この不安を乗り越えていくしかないのだろう。研究者になるのも茨の道だが、研究者になったらなったで、さらに茨の道である。
IUにいる時に始め、さきがけの研究期間中に発展させたエコーチェンバーの研究が、ようやく論文として出版された。いろいろあって、結果的に4年かかった。2つトップジャーナルを目指してダメで、Journal of Computational Social Scienceに出してからは、割と順調にアクセプトされた。
その間、Filたちとメールだけでなく、適宜オンラインでも議論をした。共著論文の名に恥じない論文になったと思う。他の仕事と重なって、なかなか研究時間がとれなかったり、気持ちの切り替えがうまくいかず集中できなかった時期もあるが、チームプレーで書き上げた論文は長い旅路を無事終えた。
9月は執筆の締め切りを山のように抱え、しんどい日々が続く。これが終われば、新しい授業の準備も始めなければならない。全部やり切って、笑って年末が迎えられるように頑張りたい。
Sasahara, K., Chen, W., Peng, H. et al. Social influence and unfollowing accelerate the emergence of echo chambers. J Comput Soc Sc (2020)
コロナ禍になってから、ずっと時間に切れ目がなく、始まりも終わりもないような感覚がずっと続いていた。しかし、強制的に時間に切り取り線を入れる出来事が「今日」ということになるだろう。
9/1付けで、 東京工業大学環境・社会理工学院の准教授として着任しました。前職の名古屋大学には約8年間、お世話になりました。研究室も少しづつ大きくなり、良い学生も研究室に来るようになった矢先での移籍なので、とても残念ですし、とても大変でもあります。
MOTは通常の大学院とは異なるので、慣れるまでは大変そうです。しかし、新たな環境で自分を試すというのは、ずっと自分がやってきたこと。より厳しい環境に身を置いて、結果を残していく。そのタイミングが今だったということでしょう。
安定にあぐらをかかず「変化し続ける」。これからも、そんな自分でありたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
このところ名古屋でも、新型コロナの感染者が150以上の日が続いている。そのほとんどは都心部なので、私が住んでいる地域周辺で市中感染が起きているわけではない。とはいえ、いつもと同じようなお盆の過ごし方ができるわけはない。
GO TOキャンペーンで旅行を推奨している一方で(一部地域を除く)、「帰省は慎重に」という。一体、どういう合理的な説明がつくのか不明な状態だ。
いっそのこと、GO TOキャンペーンは延期して、 TO GOキャンペーン(飲食店のテイクアウトを支援する)を打ち出すぐらいのトンチがきかせられないものか。「老舗旅館の食事もテイクアウトできて、お値打ち価格でお家で食べられます。」ということなら、みんな文句も言うまい。
実際、我が家でも、近所のイタリアンやトンカツ、中華屋のテイクアウトを利用している。割引があったり、サービスで一品つけてくれたりと、お得感があるし、お店を応援している感じがして満足感も高い。
遍く挫折に光あれ 成功、失敗に意味はないぜ「確かに僕は失敗した。だからなんだ。それで死ぬわけじゃない。何度だってやり直せる。この失敗は、そのための糧だ。挫折じゃない、経験だ。」
最終話で笑った奴へ トロフィーとしてのハッピーエンド
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| かど家の鯛ネギラーメン |
世の中で自分の好きなことをやって成功した人は2割ぐらい。成功した人の中には、自分の嫌いなことを極めた人が多い。研究者は前者の2割の方ではないか、と言われるかもしれない。表面だけ見ればそうかもしれない。しかし内実は、研究に割ける自由な時間は限られていて、 自分でも納得のいかないことに時間をとられることが多い。まだ僕などはましなほうだ。